2011年12月30日金曜日

ポジティブな強さと君とひととき

出会いとは本当に突然。偶然時間が合ったからというだけの理由で飛び込んだ渋谷シネマヴェーラにて特集「映画史上の名作」からエルンスト・ルビッチ監督の「君とひととき」を観てきました。

映画館で白黒映画を観るのは、かなり久し振り。午前十時の映画祭で観た「シベールの日曜日」…いや「ハスラー」以来かな。その日はすでに映画二本のはしごした後だったし、白黒映画で1932年の映画だし、全然知らない古い映画なので、よもや寝てはしまいだろうかと不安だったんですけど、全くの杞憂でした。

君とひととき

あらすじ:パリっ子の粋なお医者さんアンドレ・ベルティエは美しい奥さんコレットをもちろん愛している。そして至極仲睦まじく円満に暮らしているのである。ところがある日アンドレはタクシーの中で美しい夫人と偶然知り合いになった。その夫人と言うのは彼の愛妻コレットの親友ミッチであることが判った。そんな愛妻の親友ミッチから積極的な誘惑をされてしまい…?一方で、アンドレの親友アドルフは、ベルティエをずっと想っていて…?

ルビッチの代表作と言われる「結婚哲学」をトーキー映画としてリメイクしたものがこの「君とひととき」という映画だそうだ。名前だけはなんとなく知っていたけれど、全然作品を見たことがなかったルビッチ。今年は、クロード・シャブロルという肌に合う監督に出会えたことの衝撃をずっと忘れられなかったわけだが、また肌に合う監督さんに出会ってしまった。

物語は、単純にして実にお馬鹿なお話でした。けれど、大好きなウディアレンで親しみのある画面に向かってしゃべり始める語り口、観客に対するちょっとした目の配らせ方、セリフの気持ちのいい掛け合いや皮肉の上手さ、奥行きのあるような味わい。実を言うと作品によっては苦手なミュージカル映画なんだけど、歌になったらついついにやにやしちゃうくらいおんなじフレーズを何度も繰り返すところとかも最高に楽しくて可笑しかった。

やはり古い映画だから、今に比べたら色々制約があって粗があるんだろうけど、粗なんてびっくりするほど振り返ってみてもわからないくらいに引き込まれてしまってました。浮気の誘惑に駆られるアンドレと一緒になってもがきあえいでしまう始末です。妻のベルティエはどこまでも可愛く愛おしいし、誘惑してくるミッチの小悪魔っぷりたらもうないし、こうアンドレに感情移入させられるというか一緒になってピンチになってしまっている感、役者たちの素晴らしさに加えて、ルビッチの手腕なんだろうなって思うと艶笑喜劇の神様と言われるだけの所以を感じ取れたような気がしました。

「君とひととき」の最後は、実に可笑しいハッピーエンド。悲惨?お馬鹿?シニカル?な物語で、これからの展開どうなるんだろうとか思っていた最後の最後、本当にしてやられたなーともう最高でした。

強い。この映画の終わりに象徴されるようなポジティブな強さは、凄く気持ちがいい。今年のベスト1に「ブルーバレンタイン」を挙げてしまったせいか、まぁ「ブルーバレンタイン」は前向きな終わり方だったと思ってるんですけども…やっぱりポジティブに強くはなれない映画だったとは思うので、今年の締めくくりに「君とひととき」を観れたことはとても価値があったなーと思えてます。いやー。

来年の三月にDVD化されるみたいだから、絶対買うしかない!
あと来年は、この映画を観て肌に合うと思えたルビッチ監督の作品を色々観るようにしたい。勝手に自分で特集組むぞ!と意気込んで…皆さん、よいお年を

2011年12月28日水曜日

一瞬であるということ。永遠の信じられなさ。

純愛や青春映画を見たときのほろ苦さにどう立ち向かっていけばいいのか分からないなぁと思う。というか、死が絡まる純愛映画ほど、ましてわからないのである。たしかに大事な人が死んでしまうのは悲しい。


永遠の僕たち

交通事故によって両親を失い、臨死体験をした少年イーノック(ヘンリー・ホッパー)のただ一人の友人は、彼だけにしか見えない死の世界から来た青年ヒロシ(加瀬亮)だけであった。他人の葬式に参列するのが日常的なイーノックは、ある日、病によって余命いくばくもない少女アナベル(ミア・ワシコウスカ)と出会う

イーノックとアナベルの青春、青い若さと死が描かれるわけだが、「死」が日常の中にというより、二人の中に当たり前に存在しているのがこの映画の怖い所だった。いわゆる純愛映画だと死が受け入れがたいものでしかなくて、それを乗り越えていくというような映画も多いわけだけど。その点は、「永遠の僕たち」は特殊な純愛に位置づけられる気がする。

「永遠と信じられる、信じたい一瞬」をどう描くかみたいなのが、俺が映画を見ちゃうときに恋愛が絡んできたと時に考えさせられてしまう所であったりするのだけど、この映画でもラストシーンはまさしくその瞬間を思わさせてくれるものである。ただそのことで、ちょっと深読みしてしまいたくなったので、恋愛脳の独り言を書いてみようと思う。

「永遠の僕たち」というタイトルからも「永遠」な二人を意識してしまう節があるのだけど、原題は「Restless」。意味で言うと、落ち着かないとかじっとしていられない、不安な…というものである。邦題で浅はかにも意識させられてしまう永遠の二文字はどこにもない。どうして、Restlessというタイトルなのか。

最初に怖い所として、「死」が日常にあると言ったが、その点がひっかかってくる。つまり、主人公のイーノックは臨死体験をしたせいで唯一の友達として幽霊(ヒロシ)が描かれ、またアナベルの方も余命いくばくもないという死があり、それを受け入れる形で二人の愛が育まれていくことになる。死を体験しているから死と一緒に彼女を受け入れることができる主人公の強さと少しも死を恐れてはいない彼女の強さは、あまりにも強靭すぎるとしかいいようがない。

例えば、彼女はダーウィンを愛好しているというお話が出てくるが、ダーウィンを信じているということは、宗教的なすがる存在が一切ないということでもあるし、何故彼女が死に対してそこまで強くいられるのか不思議で仕方がない。

「死」とはひとつの見方でいえば、解放であり、永遠になってしまうものである。忘れるという選択ができないのであれば、忘れられなずにずーと背負って行かないければならなかったりする。そういうイメージがある。

その象徴的な存在が幽霊のヒロシだ。日本兵で最愛の人を残してしまったという愛の儚さが終盤描かれ、イーノックのアナベル喪失と並べられて描かれもするが、彼という存在がまさしく永遠的な存在なのである。死を恐れていない存在、アナベルも同じく死を恐れていない存在。

だから、まるでイーノックとアナベルは、幽霊で死んでしまってるかのような、永遠的な存在に思えてしまってくる。つまり「永遠と信じられる、信じたい一瞬」が当たり前になってくる。やっばり好きな人とはずっと一緒に居たいし、永遠と思える一瞬のために生きてるというか、その瞬間を信じてすがってたりするんだけど、永遠がどうたらとかすがったりとかしてるということがないんだよ。幽霊のヒロシの存在がその点をすごく曖昧にしている感じがして、二人はもう永遠に愛を分かち合えているように思えるんだよね。

そんな二人にも死という別れが訪れる。たしかに永遠でないという事実・彼女の死の現実に、イーノックは自棄になってしまったりするのもあるんだけど、これは彼女を失うことへの恐怖。これは純愛映画のいつもと同じようなベタなお話、失って初めて彼女との永遠と信じられる一瞬を手に入れてたんだと気づくという。

でもね、アナベルの死を迎えてイーノックが最後笑顔を見せる瞬間、

永遠でしかなかった相手を失えた喜び

になっていたように思えたんだよ。

もうなに言ってるか、上手く伝わるかわからない文章で申し訳ないんだけど、普通なら彼女が永遠的な存在ではなかった事実に触れ、けれど失って永遠と信じられる一瞬を手に入れていたんだという愛にすがって生きていけるというようなお話になってしまったりするのを、永遠と信じられなくなった事実をくれたことへの喜び・愛の見出してるように思うんだよね。

幽霊ヒロシの最愛の人へと宛てた手紙、彼の中で彼女は永遠の想い人として生き続け、愛がそこにはある。
同じように、アナベルを失ったノーイックの中でもアナベルが生き続けていく。これは並べられて描かれるように思うのだが、先の俺の解釈にしたら同義にも近いけど、対比とも取れるようになる。

幽霊ヒロシの最愛の人へと宛てた手紙、彼の中で彼女は永遠の想い人として生き続け、永遠と信じられた一瞬に、愛を見いだせる。一方で、アナベルを失ったイーノックは、永遠と信じられた時間の中から永遠の信じられなさ、一瞬が一瞬でしかないことに愛を見出いだせた。

永遠はない。けれど、積み重ねた一瞬が永遠と信じられるのではなくて、一瞬でしかないから、愛が見いだせた。

タイトルの話に戻れば、不安でいられること、じっとしていられないこと、落ち着いていられないこと、つまり「Restless」その一瞬一瞬が永遠でないから、一瞬でしかないから…。そんなことを改めて考えてみたら、永遠と信じたい一瞬を求めてる、すがっていたい人間としては、彼らが到達したその場所、イーノックの最後の笑顔に涙するしかないんだよね。

もうなにが言いたいのかよくわからなくなっちゃったけど、青春・純愛映画が死を絡むことでただ永遠の一瞬を手に入れたと描きがちで、だから死が絡む映画って嫌いなんだけど、ここまで死について深読みさせてくれる映画なんだと思うとその一線からちゃんと踏み出していたと思えて嬉しかったんですね。

みずみずしい若い主演の二人の演技は素晴らしいかったし、洒落た衣装に、音楽までとっても良かったです。
NICOのThe Fairest Of The Seasons、BeatlesのTwo of us 頭から離れないや。

2011年12月21日水曜日

2011年BEST映画


元日の午前十時の映画祭「北北西に進路を取れ」から始まった今年の2011年映画生活もとうとう終わり。2011年、全然、ほんと全然映画は好きだったけどこんなに劇場で観賞もしなかった昔の自分が信じられないくらいに映画観ました!!
旧作も含めて劇場での観賞が141本!DVDやテレビでの映画観賞も含めたら合計で341本!(計算間違えてたので訂正)

限りなく毎日に近い本数見てるということに…そんな1年になりました。

2011年劇場公開映画だと、劇場と自宅鑑賞あわせてどのくらい見てるのかな、ちょっとわかんない。調べるの面倒なので調べませんでした、ごめんなさい。というわけで

劇場鑑賞作品のみの中からベスト10です!


第1位…『ブルーバレンタイン』〈デレク・シアンフランス〉

第2位…『引き裂かれた女』〈クロード・シャブロル〉

第3位…『人生万歳!』〈ウディ・アレン〉

第4位…『シリアスマン』〈ジョエル&イーサン・コーエン〉

第5位…『ソーシャルネットワーク』〈デヴィッド・フィンチャー〉

第6位…『ウィンターズ・ボーン』〈デブラ・グラニク〉

第7位…『ステイフレンズ』〈ウィル・グラック〉

第8位…『ハンナ』〈ジョー・ライト〉

第9位…『スーパー!』〈ジェームズ・ガン〉

第10位…『ラブ・アゲイン』〈グレン・フィカーラ&ジョン・レクア〉



コメント
「ブルーバレンタイン」…気持ち悪いくらい映画館でボロ泣きしました。生々しいすぎるほどの実在感、二人の演技があまりにも素晴らしい。昔から恋愛についての映画とか、倦怠期夫婦もの、どうして愛だったはずのこの関係は変質してしまうのかもの(宇多丸さん曰く)は、大好物なのもあって、客観的に立てない、当事者目線で感情移入しちゃうこの作品はマゾのマゾもいいところなんだけど、完璧にドツボにはまってしまったといいますか。泣泣もうなにも言えない。

「引き裂かれた女」…この作品で初めてクロード・シャブロルと出会いました。こんなにも肌に合う監督さんがまだいたのかと衝撃的な出会いでした。引き裂かれた女自体は、いやらしい寝取られものですね、画面全体に漂う歪さ、エロさ、凄まじい。ユーロスペースで特集にも何度か足を運び、他にも作品を結構観ました。引き裂かれた女より面白いシャブロルの代表作も観ましたが、あえて2011年に日本公開の「引き裂かれた女」をですね。一年シャブちゅうになった代表作として挙げたい。趣向がモロバレてくるあああぁ

「人生万歳!」…大好きな大大大大好きなウディ・アレン監督のこれまた傑作です。またドMなってうるさい。実はこの作品は去年の暮れの公開なので実質2010年の作品になってしまうんだけど、観たのが今年だからしょうがないのでランクインですね。ウディ・アレンは肌に合いすぎて異常です。皮肉といい、やじっぷりもたまらないし、この映画のハッピーエンド感もとにかく素晴らしい、ほんとに人生万歳!!!!!

「シリアスマン」…コーエン兄弟のほんっとに憎ったらしい傑作でした。らしいというか、コーエン兄弟じゃなきゃこんな映画撮れない絶対にっていう好きに作れられちゃった感がはんぱないんだけど、不条理を通り越した不条理さ、ブラックさをユーモアに描けるのだからすごい。好きなんです、コーエン兄弟。今年はトゥルー・グリッドも公開されてるのでコーエン兄弟を堪能できたわけだけど、この二つなら断然「シリアスマン」でした。

「ソーシャルネットワーク」…やってくれました。この大傑作が第5位なんて信じられません、どうかしてるんですかってくらい今年度の大傑作の1つ。共感しにくい天才な主人公に、ソーシャルネットワークというわからない人にはわかりにくい題材で万人うけしなそうではあるんですけどもね。ラストシーンのf5連打には、もう心にグサグサ、いや、グッと!!グッと!来ました。もうあのラストシーンが私の全てです。

「ウィンターズ・ボーン」…こんな貧乏で骨まで染み入る映画もなかなかないです。感動とか感傷に浸るとか重たいとか、もうそういうの通り越して心にズーンって来ました。主演のジェニファー・ローレンスには今年の新人女優の演技賞を挙げたいです。素晴らしい。こういう映画がアメリカでまだ作られるんだなってことがまず衝撃だし、舞台にしてもアメリカの知らない一面を見たと思える。世界は広い。

「ステイフレンズ」…肌に合うウディ・アレンのラブコメを除けば、今まで観てきた中で1番かも知れないってくらい面白かった!!セフレなんて憧れにもできない妄想の世界を成り立たせちゃう主演のジャスティン・ティンバーレイクとミラ・クニスの愛嬌ったらないです。素晴らしいキャスティング。多幸感たっぷりすぎ。

「ハンナ」…おお、珍しくアクション映画ですwといっても、殺戮マシーンでもあり世界を本でしか知らない最強少女の旅立ちのお話。まず好きな監督さんということが1つあります、ジョー・ライト。好きな女優ってわけでもないけど、透き通ったシアーシャ・ローナンがとても映えていまして、淡青がかった画面演出にケミカルブラザーズの音楽、ちょっとしたアクションの長回しとかなんかところどころツボにはまった。気に食わない気もするけど、色々言われてた終わりは全然嫌いじゃない。

「スーパー!」…衝撃すぎる。衝撃すぎる。こういう映画を待っていた?待っていたのかおれは?とね、ふつふつと煮えくり返るヒーロー精神というか、いや、振り切りすぎだろwっていう冷静さを保てなくなるくらいに感情移入してしまいそうになった。まぁなんにしてもボルティなのであるな。あのエレン・ペイジがあああああ。やばい。

「ラブ・アゲイン」…1番声を出して笑ったかもしれない映画で、スコット・ピルグリムとこの10位を争ったのであります。狂ってて、馬鹿げてて、愛くるしい映画ですよ、これは。役者陣のそれぞれの役柄の演じっぷりは見事で良かったなぁ。ライアン・ゴズリングなんてブルーバレンタインが嘘みたいにいい男でさ、エマ・ストーンはやばいくらい可愛いし、この二人の組み合わせ破壊力ありすぎるし、スティーブ・カレルもジュリアン・ムーアもね。よかったです、ケビン・ベーコンがちょっと全然あれな扱いで笑ったけどwこちらも多幸感たっぷりないい映画です。


次点でランクインしなかった作品
「ザ・ファイター」「スコット・ピルグリム」「ゴーストライター」「アジョシ」「宇宙人ポール」「猿の惑星 創世記」「ファンタスティックMrFOX」「ミッション8ミニッツ」「ドリームホーム」「冷たい熱帯魚」「X-MEN FG」「ピラニア3D」「リアル・スティール」

まだまだ面白かった作品があって、きりがないので割愛するけど、「塔の上のラプンツェル」「ブラック・スワン」「50/50」「指輪をはめたい」「ハードロマンチッカー」「コンテイジョン」「キッズ・オールライト」「人生、ここにあり!」「劇場版神聖かまってちゃん」あたりもかなり面白かったです。

まだ「MI4:ゴーストプロトコル」も観に行ってないし、話題の「サウダージ」も観に行けてないのでまだもう少し増えるかな。

来年はどのくらい映画見れるかなぁ。来年公開する映画は、さらにさらにかなり楽しみな作品が目白押しなのでほんとどうなることやら。年間劇場鑑賞100本は目標にしたい。

2011年12月16日金曜日

助けてください。闇雲に生きるのは不幸か幸せか。

さて、今年の映画のBestも考えたい頃合いになって参りまして、改めてブログで書いておきたいなぁと思う作品もしばしばあります。選り好みといいますか、勢いで書けるか書けないかみたいな所があるので、行き当たりばったりなブログです。

そんな思いから今年のBest5に食い込む傑作を一つ。また今年のBestについてはブログ書きます。


シリアスマン


あらすじ:物理学教授のラリーは、ある日を境に災難が続く。長年連れ添った妻ジュディスが離婚を望んだり、覚えのない商品代金の督促に追われたり。そこでユダヤ教の賢者に相談するも「歯痛の如く、時が経てば痛まない」と助言を受けるが、彼は明確な神の答えを求め続け……。


アメリカでは2009年の公開で、ずいぶん遅れて今年の二月にやっとこさ上映。作品は、ハートロッカーが選ばれた2009年のアカデミー賞の作品賞にノミネートされていた話題作でもあるにも関わらず不遇な扱い。シニカルなユダヤ人の慣習や宗教ネタが豊富なため、日本人に馴染みがないことがなによりの要因だと思うけど、いやぁ公開されただけ有難い有難い。

コーエン兄弟監督作品ということで、彼らのブラックさが苦手な人はこの作品も同様に苦手だと思う。アカデミー賞作品賞を取った「ノーカントリー」でダメだった人はこの作品も向かないかもしれません。まだ柔らかいブラックさだとは思うけど、根本的に肌に合わない場合もあるかと思うブラックさです。

かくいう自分は、コーエン兄弟のブラックさが、とても肌に合うので、好きな監督です。なので「シリアスマン」それはそれはコーエン兄弟らしさを堪能できました。

「シリアスマン」は、主人公のラリーにとにかく不幸が重なって救いもなくさらにさらに重なっていく…映画です。ただただ悲壮感に溢れる物語であるにもかかわらず、可笑しくもシリアスに笑えてしまうブラックさ。なんでこんな可笑しい。

主人公ラリーが映画の中で頼りにするのは、ユダヤ教の教えであり、自身の信仰への真面目さ、教えや信仰を推し量り助言などをするラビという存在。

なんでそもそも宗教があって、信仰があるかっていうと、やっぱり生きることって闇雲で一寸先は闇すぎて、わからないから、少しでも生きるヒントが欲しいからだと思う。

例えば、自分みたいな特になんの信仰もしてないのにいざって時に神様お願い!とか祈っちゃうような、神社もお寺も何を祀ってるかもわからないでお祈りしちゃうような無関係にも生きてる人間にはさ、もし何か行動をした時にその行動が正しいかなんてわからない、自身で信じるしかないわけだよね、すがるものを自分で見つけなきゃいけなくて、そのすがった先の行動の正解かどうかも自分で見極めなきゃいけない。これって考えてみたらすごい辛いなぁって思うわけ。

でも、信仰があれば違う。行動の指針が示されてるはずだし、信じるだけの尺度が与えられる。これが生きるヒント、生きやすさに繋がる。だから、信仰を持てるって幸せなことだと思う。どんな宗教であろうと救われてるなら、生きやすいならそれでいいよね。

ここらへんは、伊坂幸太郎の「砂漠」
ならの受け売りな宗教観。

だけどさ、信じるものは救われるの根拠って結局なんなんだろ?信仰を信じられるだけの自分の判断はどこからくるのか?信じるものは救われる。そうやって言い切れることがどれだけ幸せか。信じてないものは救われないんじゃない。

冒頭の寓話にある、悪霊と信じて男性を刺してしまうが悪霊を追い払ったと豪語する妻、妻が殺人を犯してしまったと嘆き、男性を悪霊とは信じていない夫。正しいのはどちらか、悪霊かどうかなんてその人の価値観の尺度でしか測れない。

「シリアスマン」は、信仰を馬鹿にしてるじゃないし、信じるものが救われるかどうかも信じないものが救われないかもどうかも、実のところ全然わからないよね、もうわけわかんないよね。って突きつけてくる。

なんで、身に染みて思うわけです。闇雲に生きることが幸せなのかも不幸なのかも、なおさらわっかんないなぁ、世知辛いなぁ。生きにくいなぁ。って。

そもそも不条理な世界で不条理なことばっか。ラストシーン、希望がないことがむしろ希望にすら思えて来る。

ずーんと明日の自分を考えさせられそうなんだけど、生きるとか大きくでないでね、今のいま、明日映画なに見よ〜とか、考えてる瞬間、ほんと幸せだなぁとか思えてくる。闇雲に生きてるならなおさら、笑えないのに笑ってられる可笑しさ、ブラックさを楽しみたい映画でした。

2011年12月11日日曜日

狂ってて、馬鹿げてて、愛くるしい (目指せフォトショボディ)

こんな狂ってて、馬鹿げてて、愛くるしい映画がいままであったろうか!!映画「ラブ•アゲイン」の原題は、「Crazy,Stupid,Love」。まさしく原題の通りだ。若干邦題が重たくなってしまっていて残念なのだが、気を取り直して重たく考えず見てもらいたい。



ラブ・アゲイン

あらすじ:真面目を絵に描いたような40代のキャル・ウィーバー(スティーブ・カレル)は理想的な人生を送っていた。安定した職に就き、マイホームを手に入れ、高校時代の恋人だった妻との間には可愛い子供たちがいる。だが妻のエミリー(ジュリアン・ムーア)が男をつくり、離婚を考えていると知ったときから、キャルの“申し分のない”人生は脆くも崩れ去る。おまけに昨今の“独身市場”では、キャルのようにウン十年もデートから遠ざかっている中年男はヤボなバツイチとして相手にもされない。そんなある日、ひとりの夜を地元のバーで寂しく過ごしていたキャルは、30代の遊び人ジェイコブ・パーマー(ライアン・ゴズリング)と知り合い、舎弟のようになっていく。ジェイコブは妻への未練を断ち切れないキャルにもう一花咲かせてやろうと考え、キャルを未知の世界へと誘う。男慣れした女性を紹介し、男らしい酒の飲み方を手ほどきし、GAPでは手に入らないハイファッションを見立ててやった。しかし、柄に合わない恋愛ゲームに興じているのはキャルとエミリーだけではなかった。13歳の息子のロビー(ジョナ・ボボ)は17歳のベビーシッターのジェシカ(アナリー・ティプトン)に夢中になり、そのジェシカはキャルにぞっこん。そんなモテ男に変身を遂げたキャルだったが、心までは簡単には変えられなかった。キャルの思いはいつも振り出しに戻ってしまうのだった……。(MovieWalkerより)

フィリップ、きみを愛してる!」のグレン・フィカーラとジョン・レクアが監督であること、また「塔の上のラプンツェル」のダン・フォーゲルマンが脚本ということでかなりの期待大で観にいきましたよ。

主人公キゃルがいわゆるダメ男というわけでは決してない。誠実に女遊びをするでもなく、高校の時に出合った女性エミリーと添い遂げて可愛い子供まで恵まれているのだから、あらすじにあるようにまさしく申し分のない人生を送ってきたのであるし、それはそれは誠実に生きてきた男なのだ。しかし、そんなキャルに突然の妻エミリーの浮気と離婚という現実が舞い込んでくる。

キャルのせいかどうかは、問題じゃない。彼は彼なりに誠実でありつづけたんだと思うし、そしてエミリーもキャルがそういう人間であったからこそキャルを選んだのである。一体全体ほつれはどこから来たのか。幸せで順風満帆な状態がずっと維持できるかどうかといわれると難しいのかもしれない、一時の気の迷い、より刺激的な方へ流れていった妻の行動を責めるにも責めれないというもの。キャル自身もっと努力を続けていなければならなかったと自責の念を覚えても仕方ないが、キャルを責めることはできないんじゃないかなぁ。

いくら可愛い子供たちがいようとも、エミリーが離婚を考えるという選択肢を取ったことへの共感はできなくもない。彼女自身仕事もあるし、子供の為に離婚できないなんて時代錯誤もいいとこなのだろうかな。彼女もまた素直な女性なので、見つめ直し時間が欲しいと考えて納得なのである。私が選んだキャルという男を信じていたいのにという気持ちが反面見て取れるようでもあって。実際わかったもんじゃないんだけど、人のいい二人なので人がいい素直で誠実だからこそそういう選択を考えてしまうんだと思える。(つもりにつもった積年のすれ違いというやつなんでしょうかなぁわからないけれどもね)

とは、まぁ彼らが離婚への考えをつかんでしまうまでの解釈になるわけだけど。ここから努力が足りていなかったんだという自責の念に駆られてもおかしくなかったキャルがまさかのまさか遊び人ジェイコブと出会い、舎弟になって男を磨いていくというのが物語の足がかりなストーリーになる。

ヤリチンにモテのテクニックをスポ根ばりに叩き込まれていくのが痛快だ。大の大人のスポーツシューズ、マジックテープのだささは万国共通だった笑

遊び人ジェイコブは、びっくりするほどお盛んというよりは、どこかで恋を諦めている男だ。夜な夜な女をとっかえひっかえ、自分を磨く事と女を口説く事を生きがいに生きている。そんな彼がキャルをモテ男として成長させることになる。それはキャルが、恋を誠実に諦めない男だからじゃないだろうか。妻エミリーだけを信じていたいと思えるキャルをジェイコブは羨ましかったんだろうかなって思う。ジェイコブ自身、恋を諦めている反面、諦めてしまっている自分をどこか冷めた目で見てしまう節があるように感じられるのだよね。

物語そんな彼らを含めて巻き込んで、様々な登場人物の恋やら愛やらの感情が錯綜する。邦題から思い込まされがちな古典的な愛を取り戻すお話のように思うのではなく、恋も愛も、馬鹿げてて狂っててそれでも愛くるしいから、信じたいよねっていうお話に思うのである。(信じられさの否定をここまでむちゃくちゃ物語を描き込まないといけないのかってのは、若干思う)

彼ら2人がどういう着地点に付くのかは、ぜひ映画を観て味わって貰いたい。
キャルは、恋を愛を信じ続けることができたのか、妻エミリーを取り戻す事はできたのか?
遊び人ジェイコブは、ずーっと遊び人にままなのか?キャルとであって、そしてどこか諦めていた恋を信じ始める事ができるようになるのか??

着地点への広げた風呂敷のたたみ込みっぷりは、凄まじくて、裏切られる展開、こうくるのか?!やられたと思うことしばしばで、大声出して笑った。

「ブルーバレンタイン」ではげ散らかしてたライアン・ゴズリングがうそみたいだけど、モテ男遊び人イケメンジェイコブを演じるライアン・ゴズリングのフォトショボディに、びっくり可愛いエマ・ストーンの組み合わせの破壊力は抜群で、そこにスティーブカレルの中年親父感だったりのジュリアンムーア奥さん感だったり2人も素晴らしく生き生きしていて見るものの心をぐっとつかんで離さない。

終盤にかけての展開は、胸が熱くも痛くてね。感動もしますしほろっと泣けさえする。

ただすごい憤りを感じた点が一つ…

公開劇場が少なすぎるだろ!ぼけ!神奈川で上映してるのがセンター北のワーナーだけってひどい。ひどすぎる。都内でもシネマート新宿だけ?配給さんがんばってよー。もっとたくさんの人に観て貰いたいです。

そしていたたまれないのが、、もっとおしゃれします。見た目から努力できるところはしていかないとなぁと、あー胸が痛い。筋トレも。。

2011年12月8日木曜日

ロマンチストの暴力

何故か暴力は嫌悪するものでもあると同時に、根源的な人間の魂の部分で感じ取るのか、はたまた憧れなのかは、わからないけれど、確信犯で男なら見て見ぬふりはできないほど惹かれてたりする。

ディビット•フィンチャー監督の「ファイト•クラブ」でも、スタンリーキューブリックの「時計じかけのオレンジ」でも、抗えない暴力への渇望を感じ取れるのだ。社会の抑圧からの解放を現実世界ではできない暴力を映画の中に私たちは見ているのかもしれない?


ハードロマンチッカー

あらすじ:グー(松田翔太)は山口県下関のディープタウンで生まれ育った高校中退のフリーター。街には暴力やセックス、クスリ、そして男と女のちんけだがディープな愛と憎しみが溢れている。グーはクールな眼差しを保ちながらも、必然的にそんな街の喧騒に巻き込まれ、また時には自ら跳梁し、ミライを探す日々を過ごしていた。そんな中、外国人や警察、ヤクザ、顔は広いが誰ともつるまないグーであったが、後輩の辰(永山絢斗)が起こした事件をきっかけに暴力の連鎖に巻き込まれていく……。


つまるところ、そうした暴力への憧れだけで暴力を楽しむことができるのかどうかは別問題だ。かっこつけるだけの映画でそのかっこつけだけを楽しめるのならそれでいいけど、それだけに落とし込めない面は強く感じたりする。愛のため、大事な人を守るため、みたいな大義で罷り通る暴力にしてもそうで、自己欲求な側面を強めた暴力は、誰のためでもない自分のためのものでありたいというような叫びが感じられる気がする。(自分の中でも?)

ここで見出せるのは、自分のための暴力探しであり、「ハードロマンチッカー」は自分のための暴力の映画だ。そこにある生々しさであったり、痛み、を掬い取った演出が見事。

主人公グーは、誰につくでもなく誰のためでもなく自分のために暴力を振るい続ける。性格的にいえば、わがままでマイペースでのらりくらいと我が道を行くタイプと言った表現がされる主人公グーは自分のための暴力の象徴だ。

この映画の中で、主人公グーが振るい続けてきた暴力はすべて自分に返ってくることになる。暴力の世界だから、と彼らのファンタジーな暴力社会として一つ見ることもできるが、自分のツケは自分で尻ぬぐいしなければならないのは、何を隠そう自分のためだったからだ。

どれだけボロボロにされても、因果応報、誰のせいでもなく自分のために傷つけて自分のために傷つけられる。バカだし、ハードというか、どMもいいところだが、それでも立ち続ける自分のためをぶれることがない姿に、心奪われるのである。誰かのために、誰かのせいにして暴力をしてしまいがちなのだと思う、じゃなきゃ暴力を振るうこともできないし、それが社会なんだろうか?とも思うわけだけど、それをロマンチストとかこつけて見て見ぬふりをし続けて抗い続けるロマンチストの暴力。

ラストシーンのくだりがつまり、そういうことなのである。誰かのために暴力をふるい、誰かのために死んで行くことが、愚かしいというのではなく、それでいいのかとロマンを見続けたい主人公グーの想いが如実に現れた場面。グッときた。ぜひ映画館で見て欲しい。

ロマンチストで居続けるより、誰かのせいにしたり誰かのためにいられることの方が楽だし幸せ。けど、暴力ってそれだけじゃダメなんだろう。それだけじゃない暴力に惹かれてることを、改めて痛感させられたのでした。

金子のノブちんは、また誰のためでもなく自分のため?という明確な描写はないが、誰にも指図されない男を演じてる。そんな彼は、いきなり退場させられる。これは皮肉か?

松田翔太狙いの女性客は、こんな映画の男のわがままに付き合えるかどうかで楽しめるかどうかが決まるかも。案外弱いのかねぇ、ハードなロマンチストに。男性は誰でもオススメ。

エハラマサヒロそっくりな、遠藤要の存在感がなかなか素晴らしく、柄本くんもまた素晴らしく、声や表情というった演技云々もまたしかりだけど、存在感で語れる演技は映画ほど大事ね。

まぁ後輩のお楽しみ中の所をお邪魔して、後輩が逃げ飛び出したのをいいことに、そのまま寝とっちゃうくらいの
、後輩の合コンにいた女の子をとっ捕まえて遊ぼうとして、そいつが売春少女だったから、無理やり一発ヤってバイバイくらいの、、極端な自己中さは、まがりなりにもロマンチックに眺めていなきゃだよね…?というそういうお話でした。

おしまい。


2011年12月6日火曜日

これからなにしよう?

普通に生きてると立ち止まるって難しくて、赤信号も気付かずに突っ走てたりするのかもしれない。冒頭のシーン、ランニング中の彼が信号で立ち止まる横を女性がすごい勢いで信号を無視したまま、突っ走ていく。癌という病気で人生を立ち止まり、そしてまた歩き始める映画。


50/50

あらすじ:27歳、いたって普通の冴えない男・アダム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は突然ガン告知を受ける。しかも5年生存率は50%という、まさかの余命宣告まで。その日から、悲しみに暮れて何かと世話を焼きたがる母親や、看病のプレッシャーからよそよそしくなる恋人などに悩まされるアダム。
気を紛らわすため、能天気で女好きの親友・カイル(セス・ローゲン)とガンをネタにしてナンパをしたり、新米セラピストのキャサリン(アナ・ケンドリック)とカウンセリングを受けたり。しかし病状は悪化の一途を辿り…。

まず語るべきは、キャスティングでしょうかなー。

主人公の「インセプション」ではスーツの似合うカッコいいアーサーを演じ、「500日のサマー」ではサマーという女の子に振り回され続ける愛を信じてるトム演じた ジョセフ•ゴードン=レヴィット!来年夏の公開を控える「ダークナイト•ライジング」でも刑事役での出演も決まってる、若手ながら実力のある俳優さん。甘いマスクで日本受けしそうな顔なので、きっと女性は気にいる人も多いそんな彼の誠実な演技はとても良かった。

主人公の親友を演じるセス•ローゲンは、いい意味でセス•ローゲンなうざさと優しさを兼ね備えた憎めない、ナイスガイだ。うざいけど、嬉しいってあるあるなめんどくさい感情を嫌でも感じさせてくれるほんと名演。

セラピストを演じるアナ•ケンドリックは、いや、いわゆるうさぎ顏だけど、等身大な演技が素晴らしく可愛い、ほんと可愛い。こんな彼女欲しいってくらい可愛い(エドガーライト監督の彼女さん!!)彼女が主人公の歩き直しの始まりを告げてくれる瞬間の希望の満ちっぷりは素晴らしいね。泣。

とまぁ、そんな彼らを観るだけでも価値があると思えるほんといいキャスティングというか好きな役者さんたち。

あまり観客は入っていなかったんだけど、カップルが何組か入ってました。映画の中でも恋愛は、闘病の中での負担が重くのしかかる難しいものとして扱われてて、苦しい描き方をされるため、こうカップルで来て2人の気持ちを思い計るような考えで見ちゃうと重たくなるかもしれないと注意は必要なんだけど、かといって重たい映画ってわけでもないから気負わずに大事な人と一緒に見て感動してもらえたら嬉しいなと思える作品。

主人公の闘病姿は、画面のフォーカスのぼけ、無闇な笑顔を物々しく映したり、嫌味な落ち着きの演技で深刻に描きすぎるでもないのに過酷さが伝わってくる。辛いなぁ。

異性とか関係なく、1人の人間として自分を見つめ直すことができるし、友情を考えさせられる。もし自分が彼の立場だったら、なんて思ってしまって共感できることがたくさんあった。

日々の生活で見て見ぬ振りして、気づけない大切なものを教えてくれるようないい映画です。

元々主演はマガヴォイくんだったらしいんだけど、いやぁ、ジョセフ•ゴードン=レヴィットで良かったよね。

もっとたくさんの人に見てもらいたいな。泣ける映画っていうかね、頬をつらーってくる。前向きになれた気がする。

ただにしても爪を噛む癖とかめっちゃ放置だったな笑 ラジオの仕事の達成とかも放置。そこは不満。


2011年12月3日土曜日

何のために絆創膏もってるの?転ぶためでしょ?

記憶喪失になって昔の恋愛の後悔もトラウマも全部全部忘れられたら、どれだけ幸せなんだろう?今の自分があるのは君のおかげとかどこぞのRADWIMPSが歌ってようがなんだろうが、なんだかんだ後悔を背負って生きてることはやっぱり辛いことに違いはない?


指輪をはめたい

あらすじ:スケートリンクで転んで気を失ってしまった製薬会社の営業マン、片山輝彦のカバンの中から出てきたのは見覚えのない婚約指輪だった…!恋人に関する記憶だけサッパリと無くなってしまった輝彦の前に、まるでタイプの違う3人の女性が現れ、それぞれが彼女だと名乗る。クールな才女智恵、明るくセクシーなめぐみ、家庭的な和歌子。指輪があるからには、彼女たちのうちの誰かを愛していたことは確かだ。僕の指輪を待っている大切な人にプロポーズしなくては!でも一体、誰に!?なぜ、愛する人の記憶だけ失ってしまったのか、果たして指輪は誰のためのものなのか? 見覚えのない指輪と見覚えのない恋人たちに翻弄されるうちに解き明かされる、輝彦が心の奥にしまおうとした想い。恋の記憶をめぐる結末には、意外な秘密が隠されていた・・。30歳を目前に控えた、情けなくも憎めない独身男子の、結婚相手と失くした記憶をめぐるラブファンタジー!

今年の二大ラブひねくれ邦画として「モテキ」とこの「指輪をはめたい」を並べたいと思うんだけど、昨今流行りのヘタレ男子と芯の強い女性の物語というだけで言い切れる物語ではないと思いたい。ヘタレ男子だから、こんな恋愛になっちゃうとかもう全然言い切れないと思ってしまう。恋の無根拠さだったり、いい加減さがどうにでも言い切れて受け入れられるようになってきてしまったんだと思うし、受け入れられるようになったというよりは、そう理解せざる負えなくなってきたんだというか。だからこそ、現代の男の子はどっかしらM的でもがかざるおえなくなってきちゃったというか。

恋や愛で綺麗に語られることが幻想になってしまったから、もう古臭い真実の愛みたいな言説をむしろ幻想じゃないんだと取り戻そうと必死にもがき始めたって感じなんだと思う。愛を信じてる俺、かくあるべき俺なんてものも、もうないとつきつけられて、それでもすがりたがってる。ひねくれ。

輝彦は、一過性の記憶喪失で恋愛のことだけすっぽり抜けてしまうというなんとも都合のいいお話なわけだけど、男心なんとも都合のいいお話なわけです。冒頭に書いた、過去の恋愛全部忘れられちゃったらいいねーというまるで憧れなお話がファンタジー的な演出ととてもマッチしていて、映画を見てると淡い感情に浸れるし、途中まではちゃんと幻想を取り戻せるような気がするけど、そこからガッと現実に輝彦と一緒に現実に引き戻される展開で物語は進む。

男なら誰しもが今まで思い馳せた夢想した恋に絡まるありとあらゆる感情を、終盤は、なんかこう男心つつきにつつかれて。。苦い。

幻想の中のふみちゃんは、とてもそれは可愛いのだけど、ネタバレになってしまうのであまり詳しい事はいえないけど現実に引き戻され立ち返ったところに現れた彼女は可愛く写そうという一切の気持ちが画面に現れてないくらいに可愛くない。

男の子にとって妄想の中の女の子が1番可愛いんだよね。

こうした男心を掬った物語を描いたのが女の監督さん(岩田ユキ監督)てのが面白いなって思う。あーつつかれた感情全部、見透かされてるんだなぁという。

主演の山田くんは、最近ましましてカメレオン俳優でいい演技。キャスティングはかなり良かったと思う。真木ようこが、さばさばとしたイメージと愛嬌をうまく結びつけたいいキャラであっけにとられるくらい良かったし、池脇千鶴子の素朴さも小西真奈美のツンデレ感もよかった。まぁスケートリンクの天使なふみちゃんが一番可愛いんだけどね。あのふみちゃんのスケートリンクの上でのあのしゃべり方は、夢の中で声をかけられてる感じがしたなぁ。

夢想の中に閉じこもっているところから、一歩踏み出したときにちゃんと現実に夢を見れるような、ちゃんとひねくれちゃうことももがいてることも真っ直ぐ肯定してくれるようないい映画。

なんのためにばんそうこうもってるの?転ぶためでしょ?

これは絶対男の子に観て欲しい作品。ちゃんと絆創膏もってる。

2011年11月8日火曜日

oops!そんな関係あり?ありかも!?

ステイフレンズ

最も肌に合う監督ウディ・アレンのラブコメを除けば、今まで見たラブコメ作品の中でも1番かも知れないくらい良かった!

あらすじ:ジェイミー(ミラ・クニス)は、ニューヨークを拠点に有能な人材のヘッドハンティングを仕事にしていた。彼女は、ロサンゼルスで活躍する敏腕アート・ディレクターのディラン(ジャスティン・ティンバーレイク)をニューヨークに招待する。その目的は、彼のヘッドハンティングだったが、会話を重ねるうちに自分たちの恋愛観が似ていることに気づく。2人ともあまりに多くの恋愛で失敗を重ねてきたため、諦めることに慣れ、恋愛そのものを楽しむことができなくなっていたのだ。ジェイミーの説得で転職を決めたディランは、ニューヨークで暮らすようになる。たちまち仲の良い友達関係になる2人。お互いにまったく恋愛感情を持たずに。しかし、ある時ジェイミーがもらした”セックスしたいわ”という一言がきっかけで、2人の関係に変化が訪れる。ジェイミーとディランは、恋愛なし、感情なし、甘い言葉厳禁を条件に、セックス・フレンドとして付き合うことにしたのだ。お互いの気持ちいい部分を言い合い、余計な感情を持ち込まず、純粋にセックスを楽しむ。しかし、関係を重ねるうちに、やがて2人の間に微妙な変化が生じてくる…

セフレもののラブコメということでちょっとネタっぽく捉えられがちかも知れないし、ちょっとカップルで見るにしても一抹の不安を持たれちゃうかも知れないし、まして恋人になれてない男女がデートでチョイスするには、これまた大丈夫なのかよ?セフレって?って思われてしまうかも知れない、それくらいセフレって敬遠されそうなテーマだけど、固く考えないで欲しい。

本当にオススメで絶対観て良かったと思えること間違い無いし、笑って泣けてほんとに最後の最後には多幸感に包まれて男女で見に行ったなら、なんだか真実の愛って本当にあるのかなって思えちゃうような映画。

モテキのエントリで語ったような性愛と真実の愛の葛藤みたいな話では、全くないです。モテキは、これが真実の愛と貫いた感情を性愛感情に揺らいで妥協しちゃうシーンが許せなかったというか気持ち悪かった、なんて話をしたけど、ステイフレンズは性愛も愛もなしの体の関係の割り切りっぷりです。下心があったかどうかなんて問題になんかならなくなっちゃうんだよね、やれればいいというわけじゃなくて友達として本当に仲がいいからこそ、大事に想ってる友達だからこそセフレになれちゃったなんて。

この映画、ほんとに性愛も愛もなしに、テニスだ!スポーツだ!なんてえっちを楽しんじゃう二人に対して、そんなのあり?とか思う間もなく、それもそれでありだと思わされてしまうんです。少し前にナタリーポートマンとアシュトン・カッチャーの主演で同じセフレをテーマにした「抱きたいカンケイ」という映画があってそれを引き合いに出せば、「抱きたいカンケイ」の方では、男の方が女の子のことを好きなんだけど、友達でもなく恋人でもなくセフレになってしまって、もう友達にも後戻りできない、下心的にも、でも恋人にもなれない、どうしようの葛藤がセフレ関係の根本にあるんだけど(このせいでナタリーがどうにもちょっとあまりにもめんどくさい女という設定にならざる負えなかった)、それに比べて「ステイフレンズ」で言えば、別に恋愛対象じゃなしに、本当に仲の良い友だちだからこそ、ちゃんと割り切れちゃうんじゃね?というあくまで友だちだからこそを貫いていく。

男女の友情があるとかないとかは関係なくて、実際問題、体の関係があったら友達じゃないとか意見はあるかもしれないけれど、当人に割り切られてしまえばそれまでだし、ただの価値観の差だから、そもそもの人間関係の複雑さに相まって、無根拠な関係のいやしくもセフレという関係の根拠付けができてしまったというだけのことに過ぎない。

根拠付けの一端を担うのが、ふたりの関係の根底にある誰もが感じたことのある恋愛の煩わしさ。たかが恋愛だけど、されど恋愛で、エゴがあるし、独占欲があるし、あなたは私のもので、私はあなたのもの(あまりに適当な文で申し訳ない)別れる時の後ぐされもめんどくさい、けどえっちはしたいけど誰でもいいわけじゃないし、そもそも恋愛しなきゃえっちできないってなんでだっけ、えっちをスポーツに割り切れちゃう信頼できる友達がいた!!という流れは残念ながら、わからないでもなく思えてしまうのである。

わからないでもないっていうのは、現実にあったらちょっと羨ましいかもというくらいの話で、実際にしたらそんな仲の良い異性なんていないわけだし、友達だからこそのセフレになれちゃうような人なんているかよ、ってなるから若干現実的じゃない。だからこそ、抱きたいカンケイはより現実的な話に置き換えられるんだけど、ありえないけどありえない話じゃないと思いたい羨望をもってして、ステイフレンズのセフレ関係が成り立っちゃう経緯のわからないでもなさっていうのがそれでも納得できちゃう気がする。ましてセフレ関係をああも軽く楽しく描かれてしまってはどうしようもない。

意識しちゃうような異性を異性として意識してないわけじゃないけど、体の関係持っちゃったけど大事なそれでもただの友達として割り切れるティンバーレイク(映画の中の彼)は、正直いってすっごいよねー(棒読み&嫌味)

あれやこれやとこの映画のセフレ関係がどうして根拠付けられちゃう・納得できちゃうのかをだらだら話してしまったけど、この根拠付けができてしまうなによりもの原因・理由がキャスティング。キャスティングが本当に素晴らしいんだよ!

もうね、主演の二人のミラ・クニスとジャスティン・ティンバーレイクが可愛いすぎる!!!こんな可愛いのありですか?ええ?ってくらい可愛い。お互いを信頼してる関係、大事な友だち、友情、けど、えっちしちゃう男女ってさ、配役一歩間違えたら絶対根拠付けきれなかったし、気持ち悪い映画に仕上がりかねなかったはず。映画としてキャスティングがここまで生きてる作品って久しぶりに観た気がするので、本当に嬉しかったというか素晴らしいしかでてこない。

熱く語ってしまったけれど、そんな2人がセフレという関係からどう一歩踏み出していくのか。ぜひ見届けてあげてください。最初にも言ったけど観たら絶対多幸感でいっぱいになるよ!!

より複雑になってく現代の人間関係の中で、この映画で言えば始まりが複雑なセフレ関係からだったというだけであってさ、ソーシャルなつながりにしたって、遠距離な関係にしたって、どんな出会い方、関わり方にしたって、2人の間にどんな障害があろうがなかろうが、どういう関係の結ばれ方からどういう発展するかなんてわかったもんじゃない。だから片想いの人にしても複雑な関係の中で愛を模索しいている人には、本当の愛への一歩を見つけられるようなそんな勇気のもらえるような映画。そういう意味でも普遍的な愛の映画なんだと思います。

*一応の補足でセフレを肯定してるわけじゃないと言っておこうかな、この映画に置けるセフレ関係を納得できちゃう根拠付けのコラムです。セフレという関係について当人に割り切られてしまえばそれまでという話をしたけど、実際現実のセフレ関係においてその割り切りにちゃんと納得の根拠付けがしきれているとは思えない事のほうが多いと思う、、なんて他人がとやかく言えることじゃない余計なお世話でした。補足失礼。

2011年11月3日木曜日

SFの良さを改めて思い出させてくれる傑作

ミッション:8ミニッツ



監督は、「月に囚われた男」のダンカン・ジョーンズです。「月に囚われた男」は、とてもお気に入りで監督のSF愛と才気の溢れている作品でした。ミッション:8ミニッツは、そんな監督の第二作ということもあってかなり期待していました。先に結論をいえば、この期待をさらに上回ってくれた傑作です。

あらすじ:シカゴ行きの通勤電車の中で目を覚ました陸軍パイロットのコルター。目の前には見知らぬ女性がいた。しかも、鏡に映る自分の顔にも全く覚えがなく、知らない男の身分証明書を携帯している。コルターが混乱していると、乗っていた乗車が大爆発した…。目を覚ました時、コルターは自分が驚くべきミッションに参加していることを知る。電車爆発テロで死亡した男の死の直前8分間の意識に入り込み、テロの犯人の正体を暴けと言うのだ…。

観客も主人公も最初から一体どういう状況かわけのわからないど謎のど真ん中に置かれてしまう。そこから8分間のミッションが繰り返されていく中で、まるでパズルのように1つ1つ繋がっていくシークエンスはとても気持ちがよく一緖になって謎解きをしているような感覚に落ちていけるので、とっても感情移入がしやすくグイグイ引きこまれていきました。

原題のソースコードというタイトルにあるように、彼を8分間のミッションへと駆り出すプラグラム。これが物語の核になるんだけど、あまりこのプログラムについは世紀の発明という以外にはあまり詳しい解説がされなかったと思う。だから若干のもやっとする感じはあって、彼が8分間ある人間の死の直前の記憶に入り込み、真犯人を突き止めようとするわけだが、どうやってそんなことができるんだよ?プログラムって?という疑問はたしかに抱く。でもこの情報化社会にあって、そんな無理そうな話でもないなーって思えてしまって腑に落ちました。

人々の記憶が情報に置き換えられるような時代、記憶にアクセスできるような時代がSF的な発想として片付けるでもなく、この先の現実にありそうな未来に思ってしまえたりする。そんな未来だったら?むしろその発明がもうできていて、プライバシーや悪用されてしまいかねないというような問題から公表されないで極秘裏に開発が進んでいるかも知れない。このSFは、真新しささえないものの、実感のある設定に思えて、SF心くすぐらっれた。小難しくはならないような配慮も見えつつ、観客の想像力を信頼してくれてなぁと。この観客への想像力を信頼ってすごい大事だよね。なんでもかんでも演出過剰だったり、説明過多な作品も多いから、すごい嬉しいなって思う。こういうところからも、この監督のSFへのジャンル愛が見えてくる気がします。

できる限り情報を入れないで観に行ってもらいたいなーと思うので詳しいことは言えないんだけれど、SF、サスペンス要素に絡み付いて描かれていく、人間ドラマが本当に素晴らしかった。「人間ひとりの価値、個人の価値というものはどこにあるのか?」これは監督がこの脚本を読んだ時にこの作品の良さを人間ドラマも部分にあり、惹かれた点として挙げていたもの。アイデンティティとして「月に囚われた男」にも通ずるようなテーマ性ですね。

SF的な特殊な環境だからこそ浮かび上がる哲学性を帯びる人間ドラマをぜひ堪能して欲しいです。ラストには、ほんとグッと来ました!涙がじんわり!

ちなみに
「この映画の結末はいろんな解釈ができますし、観客の間で議論を呼ぶと思います。でも僕の中では“たったひとつのエンディング”しかありえないと思っているので、そこいたるヒントを映画全編に散りばめました。ちなみに、オープニングタイトルが出るシーンにもすでにヒントが入ってます。何度も観て楽しんでほしいですね」

なんて監督インタビューの記事に書いてあったので、この監督の"たった1つのエンディング"に辿りつけるのかを考えてながらみてもらえるのも面白いかも知れないです。正直自分は辿りつけたのかどうか…もう一度観に行きたいと思います笑 

あと「映画通ほど騙される」の売り文句には、ピンとこなくて全然わかりませんでした。もっと映画勉強します。あとあと、、ネタバレになっちゃいそうだから言わないけどすっごい好きなアニメをちょっと思い出しちゃいました。その話はまたしようかな。

2011年10月14日金曜日

モテキだぁ!!!どろん★しゅしゅ

劇場版「モテキ」

鑑賞してきました。ちょ、久しぶりに書くよね。ま、雑文ね。

あらすじ:31歳の藤本幸世(森山未來)は、金なし夢なし彼女なし。派遣会社を卒業し、ニュースサイトのライター職として新しい生活を踏み出そうとしているが、結局のところ新しい出会いもないまま。だがある日突然、“モテキ”が訪れた。キュートな雑誌編集者・みゆき(長澤まさみ)、清楚で素朴な年上OLるみ子(麻生久美子)、ガールズバーの美人店員・愛(仲里依紗)、美貌のSキャラ先輩社員・素子(真木よう子)というまったくタイプの異なる4人の美女の間で揺れ動く幸世。「こんなの初めてだ……今まで出会った女の子と全然違う。冷静になれっ、期待しちゃダメだぁ……」モテキの波を越えて、幸世は本当の恋愛にたどりつくことができるのか……。


単刀直入に言いますが、楽しかったけど気持ち悪かった。冒頭ボブディランやら色々な引用に始まり、カラオケテロップまで仰々しいような過剰演出もこれはこれでわかりやすく音楽を楽しめるという意味ではPVだと割り切れてしまえて新鮮かつ面白かった。音楽のチョイスは、知らない曲も多かったけど、楽しんで聞けた。死にたい死にたい叫んで突っ走りたくなった。

サブカルが終始撒き散らされてる所も中々、ツボでTwitterやらPerfumeと一緒に陽気に踊るのもナタリーやらアイスクリームやらの編集者ってのも進撃の巨人も女王蜂やら在日ファンクやらもね。まだまだあったかな、心くすぐられましたよ。まぁあの彼のTwitterのフォロワー数は絶対ありえないにしてもね、フェスとかフェスとか、雰囲気いいなー。いったことないからわかんないけどさ。

楽しんだ面は、そんなところでしてねー。本題だよ!!気持ち悪かったところ…

モテキのドラマ版をみていないので、ドラマ版で補ていた部分があるのかもしれないのは正直わからないのだけど。

モテキって聞いて楽しみにしてしまっていたのが、好意の延長にあるあの子が俺のこと好き!?え、あんなことやこんなこともできちゃうの!!みたいな盛大な性欲とね、これが恋だ!愛だ!あの子だけだ!!の真っ直ぐさの間でもがき苦しむところだったんですよね。勝手な期待を膨らませてごめんなさい。

多分ドラマが求めていたのをきっちり描ききってるのかなってのはあるんだけど、

劇場版ではモテキとはいえ、中心にはあの長澤まさみ。最強説が浮上したとまで言われるみゆきちゃんがいるわけですね。みゆきちゃんこそ、運命の人だ。こんな僕と気の合う女性はいないよ!という展開でPerfumeと踊ってしまうくらいキラキラ胸が弾む。きっとドラマ版で幾多のモテのモテの修羅場を乗り越えてやっと君だけだと思える人に出会えたのか。良かったね。ってなるが、残念なことにみゆきちゃんには彼氏がいるために一途になりきれない。この状況は、モテキでいう好きになりきれない、まさかあの子に好かれるなんて、好かれるってことはそのさきには?!みたいな性欲先行しちゃって気持ちがついていかない、誰か一人を選べない、真っ直ぐにこの人だと思えない状況とかぶるわけだ。

だとしてだよ。映画は、モテキが物語に一切還元されてない。モテキだぁぁ!!!って叫んでたくせに、積極的にアプローチくれる久美ちゃんとなかりぃの扱い…四大ヒロインのはずの真木様の扱い…あまりにも悲しい。主人公がモテることが特に物語の中でみゆきへの気持ちをより強めるって要素にしかない。久美ちゃんとエッチしちゃうのもみゆき絡みの自暴自棄からなわけで、それはそれでいいんだけども。

なので期待してた盛大な性欲vs真っ直ぐさの戦いはなくてね。偏見と勝手な期待を寄せてしまったことは悪かったとしても、じゃぁみゆきを中心な物語として楽しめばいいと思ったらさ。

いわゆる俺のきらいじゃない寝取られ的な要素を乗り越えてですよ?

設定上は、さえない。セカンド童貞の彼が体を張って、胃を決してみゆきに対して本気で告白したあとに…。。まさかのまさか、一緒にいていい?抱きしめるだけは?最後にやらせて?って言っちゃうんだけど、俺の中ではここがどうしても気持ち悪かった。モテキが来て可愛い子と出会えて運命の人だと思ったその子に対して、最後にやらせて?って言うのは、許せないというわけでもないんだけど、あんだけ僕には君だけしかいないんだーという愛へ突っ走ってたのに、え、結局えっちできれば?それでいいの?結局性欲?本気で好きになった子でね、どうにも諦めなくちゃで情けないながらも気持ち伝えたあとに、そんなこと言えるのかなって思っちゃったんだよ。

そりゃ、わからなくもない。やれるならやりたいし、ましてみゆきちゃん、気が合って、僕にはこの子だ!!そう思えた子ならなおさらね。でもさ、もしかしたらこの先自分のことをすきになってもらえる可能性があるかもしれない、その可能性すら全部なくしちゃうくらいの言葉だし本気で好きになったと思えた人にこの人えっちしか頭にないの?って思われるよね。愛と性欲でもがいて欲しかった、一緒な面もあるけど一緒に仕切れない部分で戦って欲しかったんだよ。やれればいいのかよってなるじゃんか。

500日のサマーのジョセフくんばりに、恋愛夢想家なんでしょうかねぇ。ふられても、嫌われても、粘って、すごいよ、やらせて欲しいとか、逆に尊敬する。むしろ、情けなくなるのはこっちだし、お前そこまで本能に従えるってかっこいいだろ。男前過ぎ。

で、ハッピーエンドですから。ハッピーエンドかよぉぉぉ!!
ずるいラストだった。ふたりが笑った時、なんだか救われた気がする。
まぁ気持ち悪い。えええ。んー面白かったけど、気持ち悪い。ですね。

ちなみに大根監督のフジファブリック 夜明けのビートのPVはいつみてもかっこいい。

2011年8月24日水曜日

エンドクレジットが可愛いかった〜アザーガイズ〜

”…じゃないほうの男たち”を8月20日公開初日!ヒューマトラストシネマ渋谷で鑑賞してきました。

「アザーガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!」


あらすじ:ニューヨーク市警に務めるタフガイのテリー刑事(マーク・ウォールバーグ)。彼は、NYのヒーローとしてメディアにもてはやされていたダンソンとハイスミスが殉職してしまったいま、次期スター刑事の座を狙っていた。しかし、運悪くパートナーとして外回りよりもデスクワークが好きなアレン刑事(ウィル・フェレル)を押し付けられる。正義に燃えるテリーだったが、コンピューターの前を離れようとしないアレンのせいで、緊急無線が入っても出動できずストレスがつのるばかり。そんなある日、国家レベルの“巨悪”である金融界が絡んだ事件が発生する――。


ボンクラへなちょこ??刑事二人組のコメディ映画です。

主演の二人の内の一人、マーク・ウォールバーグというと最近では「ザ・ファイター」で素晴らしい肉体を披露してくれていて、苦悩しながらも夢を果たすという健気な兄想いのいい弟役を演じてくれていたわけですけども、この作品では打って変わって、ボンクラ刑事です。まさかね、と思いたくなるような事件を起こしてしまい、NY中の人々から敵視されてしまうという悲しい男。

そのため、アザーガイズから抜けだし、刑事として街のヒーローになりたいという想いを鬱積しているんだけども…なんと相方が現場への出動よりデスクワークをこよなく愛してるというさらなるへなちょこ野郎、アメリカのコメディアンで俺たち〜シリーズで相変わらずなおちゃめなおじさまウィル・フィレル!

なんともちんちくりんなコンビ、この時点で笑える。

冒頭に不死身の刑事コンビ、軽犯罪者を捕まえるためだけに街にあらぬ被害をもたらせようともスターとして許される完全ステレオタイプの奴らが登場する。こいつらこそ、映画的。現実離れしたそのポテンシャルと何もかも許されるスター性を魅せつけてくれるが、不意に訪れる彼らの死が見ている観客をごそっと現実に引き戻す。そこで目にするのが「アザーガイズ」だ、じゃないほうの男たち。

この作品において、アザーガイズたちでもやれるときはやれるんだ!!むしろアザーガイズたちが重要なんだ!!と訴えかけてるはず…だけど、結局彼らはある意味スターじゃないかw最高だよwという裏切られたようなお笑い展開が楽しいし嬉しい。

そんなじゃないほうの二人のまるでコントのような早いテンポで迫ってくるボケ、満載なコネタは面白いのだけど、描かれていくテーマは社会派で金融問題という時事ネタをしっかり扱ってくれるため、ギャップがありました。そのせいで?、思ったよりも弾けてる印象は弱く、まったりしてたなぁ。しかも、予算が結構かかってるみたいでしっかりしてるアクションがさらにコメディ要素から飛び抜ける感じ。もっともっと弾けた二人が見たかった。向こうのギャグだから伝わりにくく追いつけないところも多々あるから、こういう印象になるのかなぁとも思ったけど。

それでもあのコント、右から左、はたまた上か下かと思いもよらないようなとこから飛んでくる笑いにはちょっとばかし感動。こうも詰め込めるのかってくらいに詰め込まれてて楽しめました。

ツリー・オブ・ライフみたいな重厚感のある陶酔させられてあとから考えさせられてしまうような映画もいいけれど、気晴らし娯楽作品も大事だ。軽く何も気張らずに観に行ってもらって楽しめるはず!

2011年8月22日月曜日

周到な筋肉が、勝利を導く!

筋肉質な男に嫉妬している草食男子の戯言をむざむざとあざ笑うように、女子の人気を不動のものにしていく。筋肉・・筋肉・・そしてコンプレックスの蟻地獄へ突き落とされていくのだ。

「メカニック」


あらすじ:ターゲットを機械(メカニック)のように的確に始末する暗殺者、アーサー・ビショップ。ある日、雇い主の闇組織から、アーサーの恩人、ハリー・マッケンナ暗殺指令が入る。ハリーが組織を裏切ったというのだ。葛藤しつつもハリーを殺したアーサーは、ハリーの息子、スティーブと再会する。何も知らないスティーブは、アーサーに暗殺のテクニックを教えて欲しいと言う。アーサーはスティーブを助手として暗殺術を仕込み始めるが…。

ジェイソン・ステイサム様の表情ひとつ変えずに仕事をこなしていくあの姿に興奮するのは男だけじゃない。脱がれたが最後、むしろ女性が喜ぶ映画なんじゃないかと思うくらいだよ。夫婦で足を運んだ奥さんがステイサムにうっとりしている横目に旦那は、自分の筋肉のなさを呪う。

映画は、とてもテンポよくハラハラドキドキさせてくれて殺しの仕事は順々に派手になっていく小気味いい展開に興奮しました。アクションシーンは、かっこ良い。ハゲなのに。ハゲだから?。こんなカッコイイハゲもいない。

後半、完璧暗殺人のステイサムが、義理から弟子を取るハメになるんですが、その弟子がベン・フォスター!!うーん可愛いwステイサムと並んで仕事するときの二人の感じ!!べん・フォスター演じる役柄もプライドが高くとちりながらも憎めないキャラクターで冷徹なステイサムとのコンビが最高。

若干のエロでお嬢とのステイサムのベッドシーンはあるものの、ヒロインというヒロインはいないので、この映画のヒロインでもないけど、可愛さを補ってくれてるのは、べん・フォスターでした。

そんな二人の仕事っぷりに興奮して、ハラハラドキドキな展開の中、正直あのラストには裏切られました。笑いをこらえながら、ステイサムの完璧な仕事ぶり、暗殺者としてのプロの世界を甘く見ていたと反省させられた次第です。

この前友達の胸板が厚くなっててびっくりしたばっかだっての…しかも、女友達に「女の努力は化粧!男の努力は筋肉!」という格言をいただきまして…少し違うだろうとは思ったもののね、筋肉をつける努力をしようと思っていたところですよ。

周到な準備として筋トレ、がんばろう笑

2011年8月14日日曜日

トッカータとフーガを親子で弾くあのシーンだけでもう

今年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品。パルムドール作品が、規模大きくたくさんの劇場で上映されるのでとても珍しいです。これだけの規模の公開とたくさんの話題呼びと集客をしてしまうブラッド・ピットとショーン・ペンは偉大だ。

「ツリー・オブ・ライフ」

あらすじ:かつて父が望んだように仕事で成功を収めたジャック。けれど何を成し遂げても、誰と一緒にいても憂いに沈んだその心が晴れることはない。1950年代にテキサスで過ごした少年時代の記憶を手繰り寄せれば、人も自然も愛しなさいと優しく諭す母と、抜け目なく立ち回れと厳しく教える父がいて、弟たちと共に父の怒りを買っては恐れおののいた日々がよみがえる。絶対的な君主である父は畏怖と憎しみの対象だった。


宗教というと正直わからないですが、宗教色の強い映画であると思います。この時点でかなり人を選ぶことは言うまでもないと思いますが、それ以前にまずパルムドール作品であるということも忘れてはいけないです。パルムドール作品というと少し賛否でいうところの否が多いような作品に賞を取らせたがるきらいがあるように思えるので(難解というか癖というよりアクが強い)、まずパルムドール作品を今まで一作も見たことがない人には少し心構えが必要なのではないか、と思う。まぁそんなこと関係なく気にせずに味わって感銘を受けてもらえたら嬉しいな。

巨匠テレンス・マリック監督が崇高に詩的で観念的に描く「ツリー・オブ・ライフ」どういう想いを持つかはわからないけれど、絶対に見ておくべき作品であることは間違いないです。やっぱり一般受けしなそうというか、アクは強いですけども。


冒頭、旧聖書「ヨブ記」の引用がありました。
神は問う。私が地球創造の基礎を成し遂げた時、明星の星たちが瞬き唄い、神の子供たちが歓喜に叫ぶ時、汝はどこにいたのか?

ヨブ記に関しての知識があるわけじゃないんだけど、ざっくりヨブ記wikiを読んでみました。このwikiの下にあるヨブ物語がわかりやすかったんだけど、
 『ヨブ記』というのは、ヨブの試練とその回復の物語だが、単純な神の救いの物語ではなく、「人生の理不尽な苦しみをどう解釈したらいいのか」、「本当に神様のなさることはいつも正しく公平なのか」、「なぜ神様を信じるか」という人生の深い謎を取り扱った物語
なんだそうです。この映画、ある意味ではまさしくヨブ記なんだろうな。ブラピが演じる信仰深い厳格な父親はヨブであるとも取れる。

神様が救ってくれる、信じるものは救われるとよく言われるけど、実際宗教の良し悪しとか関係なく信じて救われてる人がいるならそれでいいよね。信じられないから胡散臭く思えちゃうけど。という割と雑に無宗教なスタンスを持ってて「信じているからこそ、救われない」って普通にあると思えてしまうような自分にとっては、ヨブ記で語られるテーマは、最初に宗教色は強いと言ったものの、じゃぁ「どうして信じられないのか」と逆転する形で心にずしんと来るものがありました。宗教的な噛み合わせはあるにしろ生きることとは生命とはなんなのか、という究極的でもあるテーマを描いてくれてる。

決して物語そのものが難解だというわけではなく、描かれてることは実にシンプル。父への嫌悪、愛情の空回り、理不尽な苦しみ、子供の死、愛や生きる意味への自問…。ただ起承転結がないと言っていいため、テーマ性がそもそも深いのもありますが、終りを提示してくれない物語に対して自分がどうこの物語を考えさせられるか、むしろ考えさせられたいのかで消化不良というか息の詰まる想いをします。

いってしまえば、この作品テレンス・マリックの抒情詩です。
序盤にあるイマジネーション映像の羅列、ここは一切の脈絡もなく美しく鮮烈な映像が目に焼き付けられます。そこに圧倒的な存在感をもって流れるクラシック音楽。アクの強さだけでなんかすんでないですよ、完全に監督が自分の世界に浸っていると言っていい。

そんな抒情詩的である、あの予告編の雰囲気が二時間続くような作品ではあるものの、正直眠くはなりませんでした。こういう作品眠くなって寝てしまえば、それまでなんですけど、一切眠くなりませんでした。めまぐるしく動くカメラ、映像美にクラシック音楽があいまって完全に陶酔させらてしまった。静かにこれまで浸っていていられる作品も珍しい。

特に予告編でも使われていたスメタナの「モルドヴァ」が流れてきた時の、震えっぷりは凄まじかった。本気で震えました。心の底から。こういう映画体験ってなかなかできないです、ハリウッドだけじゃないアメリカでもまだまだこういう作品が撮れるんだと嬉しさもこみ上げて感動しました。


わからないです、結局何が言いたかったのかも、一つ一つのシーンの意味も、手からこぼれ落ちてくかのようにつかめません。宇宙まで広がる壮大さと自身のちっぴけさと生命の大きさの前に、別次元で展開されてしまった感は否めないのですが、わかろうと思って理解できる映画じゃないんだと思うし、陶酔させられた、結局これが全て。

ブラッド・ピットは、今年オスカーあるかもね!それほど、父親役の彼は素晴らしかった。たぶんブラッド・ピットだけで見に行く人もそれだけで浸れるくらいに完璧な演技を見せてくれています。次男がめっちゃブラッド・ピットに似てて可愛かった笑

2011年8月11日木曜日

いくら自由でもさ!寝取るなんて聞いてない!!

もうすぐ公開が終わってしまいますが、この前のスーパー!と二本立てでシアターNで見てきました。

「メタルヘッド」

監督: スペンサー・サッサー - 出演者: レイン・ウィルソン, デヴィン・ブロシュー, ジョセフ・ゴードン=レヴィット, パイパー・ローリー, ナタリー・ポートマン
あらすじ:自動車事故で母を亡くし、心に大きな傷を負った少年TJ。そんなTJの前に、長髪でヘビメタ好き、下品で乱暴で何をしでかすかわからない謎の男ヘッシャーが現れ、TJの家に勝手に住み着いてしまう。一方、上級生に暴力を振るわれていたTJは、スーパーのレジ係のニコールに救われる。TJはニコールに淡い恋心を抱くが、予測不能のヘッシャーの行動にTJとその一家は振り回されていく…。

率直に言うと、何にしてもジョセフ・ゴードン=レヴィットが美味しかった。本能的に生きててぶっ飛んでてメタル野郎で気狂いで常識を逸脱した人間を個性的にかつ魅力的に演じてくれているんです。「500日のサマー」では女女しい男を演じていたものの「インセプション」では、硬派な二枚目をきっちり演じてくれた彼が、その日本人受けしそうなイケメンすぎない甘いマスクをもってそんな役柄を演じてるとあっては、それだけで十分な破壊力があるというもの。彼のメタル野郎なブリーフ一丁な姿を見れるだけでもうずるい映画です。

脇を固める役者陣がまたいい。ナタリー・ポートマンの地味なバカ女が可愛い、ナタリーはどんな役柄も可愛いですね。お父さんのレイン・ウィルソンもスーパー!でトチ狂ってた印象とは様変わりに陰気臭い中年親父を演じてくれてました。素晴らしいです。TJは、子役にしてはなかなかの陰気さがあってよかったです。

物語は、簡単にいってしまえば、ヘッシャーくんのぶっ飛んだ破天荒な生き方に振り回されていく中で人間として家族として再生されていくというお話。想像していた以上に吹っ飛んではいなかったしキレイな終わり方をしてくれました。そういう意味では、ヘッシャーが常軌を逸しつつも、収まりのいい人間ドラマに落として込めていたきがします。

気になったところが、下品な発言やらよろしくない破天荒な行動が苦手というか許せなくなっちゃいそうなところ…一貫してる芯の強さとか、可愛げがなんかあるってとこで許せちゃうんですかね?ここらへんは演じるジョセフ・ゴードン=レヴィットさまさまな所なのかもしれないですけれど、俺は可愛げあるわ、結構ギャグ、笑えるキャラとして一歩さがって見れちゃった部分があります。でも一歩引けて見れちゃったのは逆にどうなの?という話にもなるかと思いました。現実でいたらドン引きするのは間違いないし、映画のテイストでいうと全くギャグとして描いていないというか大真面目にヘッシャーくんを自由にしてるので、そこを納得というか許せちゃえはするんだろうけど、うん?ってなっちゃう人もいるのかな。結局ヘッシャーくんは何者でもないというか、正体がなにかあるわけでもなく、物語が終わってしまうので、重要な役割を担っているにしてはずいぶんお粗末な扱いではある。そんなこといってもしょうがないんですよねたぶん。ヘッシャーくんはヘッシャーくんで関係ない、そういう映画という枠にすらおさまらない男ってことでいいのかな。物語終盤で、主人公TJくんをさらにまだ突き落とすか!と言わんばかりに淡い恋心を抱いていたナタリーを寝取っちゃう展開もなかなかえげつない。彼は悪魔なのか天使なのかただの馬鹿なのか。ほんとなんなんですかね。

まぁもっとも脚本が甘かった気がするかなぁ、車に執着する主人公にもほとほと置いてけぼりにされたし、あの主人公に固執するいじめっこも結局ナタリー出会いのきっかけなんかね、結局のおばあちゃんの死で終わりに向かっていくのも安易さがある。母でおばあちゃんで…ね。実際でいうところのヘッシャーの自由さとそこまで親子がリンクするようなことってそんななくね、

色々もったいなさが残るけど、感動とバカバカしさが絶妙ないい映画でした。楽曲もメタリカでメタルのツボは抑えてくれるんじゃないのかな?よくメタルはわからないけども。

ヘッシャーの人生を今を生きてるっぷりは、見習いたいです。

2011年8月7日日曜日

なによりもあの狂ったエレン・ペイジに慕われるなんて羨ましい

渋谷のシアターN、新宿の武蔵野館で絶賛公開中の

「スーパー!」

観てきました。
〈あらすじ〉さえない夫フランク(レイン・ウィルソン)は、セクシーでイカれたドラッグディーラー(ケヴィン・ベーコン)を追ってフランクの元を去った妻(リブ・タイラー)を取り戻すために、クリムゾンボルト(訳注:「赤い稲妻」)に変身! お手製のコスチュームに身を纏い、手にはレンチ。エッチでクレイジーな相棒ボルティー(エレン・ペイジ)と共に危険地帯の犯罪に立ち向かう。すべては愛する妻のため。でも世の中、思い通りにはいかないもの。想定外のエンディングに向け、クリムゾンボルトは猛ダッシュ!やっぱり男はつらいよ…。掟は大昔から決められていること。子供に猥褻な行為はしない。列に割り込んだり、車に傷つけたりしない。もし掟を破れば、クリムゾンボルトが許しません。

特殊能力を持たない素人ヒーロー映画というと、「キック・アス」がすこぶる評価でミニシアター系としては異例の動員、人気爆発っぷりだったことが記憶に新しいです。「キック・アス」のような映画かな?とお思いになってる方が多いかも知れないですが、この「キック・アス」と「スーパー!」やってることはほとんど同じと言っていいと思いますが、全く別物なのでご注意してください。

主人公フランクが妻を寝取られて、絶望の淵からTVで見たヒーローに感化され、神様から何を悟ったか、ヒーローとなって悪を懲らしめるわけですけども、、

キック・アスにしてもそうで、どちらも悪に立ち向かう方法としては、結局暴力でしかないんです。「キック・アス」における暴力の取り扱いは、ヒットガールという無茶苦茶な存在によって倫理や道徳なんてものを吹っ飛ばす究極の娯楽的バイオレンスとして仕上がってしました。そのため、終わり方に対して倫理的にどうなの、ハッピーエンドでいいのか。などと批判がありましたし、事実自分にもキック・アスはお気に入りで大好きな作品ではあるけれども違和感が残っていたんですよね。

対して「スーパー!」においては、コメディ色を持って毒を包み込む面はあるものの、倫理や道徳なんてふっ飛ばそうという気がない。むしろ、暴力で悪に立ち向かっていく主人公のフランクをある種の狂気として突き放してる。凡人でしかないフランクが絶望からヒーローにかこつけて正義という名の下にただ暴力を奮ってるだけなんですよ、しかも相手は、麻薬のディーラーなどといった犯罪者ではあるけれども、エスカレートした結果、列の割り込みや車に傷付をつけるといった間違ってるけれども、犯罪ともいいきれない人々に対しても暴力を奮ってしまってる。(笑えちゃうんで、不気味なんですけどこれこそ作り物である映画だからこその楽しみでもある。)

さらにイカれたエロくて気狂いな相棒ボルティの登場!!ボルティは、生粋のアメコミオタクで、倫理という倫理が吹っ飛んでしまってる…ああエレン・ペイジやばい。これで主人公が観客側に戻ってきて、行き過ぎた正義を目のあたりにするわけなんですが、フランク、あなたもそっち側でしたよ?っていう話になってこのあたりはヒーローを狂気として描いてる部分に主人公と観客ともどもきっちり向きあわせてくれてる。

いきすぎた正義がある種の暴力でしかないこと、狂気にしかならないこと。キック・アスが本来やるべき要素に向き合ってくれた
とこの作品についてtwitterで話してる時にお話してくれた方がいました。本当にそのとおりで、キック・アスへの違和感を「スーパー!」が吹き飛ばしてくれた。ここがなにより嬉しかったし気持ちよかった。

最後の方で、主人公のフランクが語る台詞に
目の前に写ってることが必ずしも真実とは限らない
というのがありました。

たしかに主人公フランクは、狂気の沙汰でしかなかった。狂気が伴う痛みは、敵味方関係なく登場人物たちそれぞれに降りかかっていく。結果、妻を守れたとしてもその先に待っていたもの、残った痛みが現実。彼はただの人殺しだし、頭のイカれた野郎でしかないのかもしれない。でも、彼はなりふり構わず妻を守りぬいたヒーローなんです。

癖が強くて、ノレない人にはノレないかも知れないけれど、自分としては大好きな作品。序盤のアニメーションから、コスチュームまで全てが愛おしくなる。あああ、傑作。


豪華俳優陣だけでも見る価値がありますが、中でもボルティを演じるエレン・ペイジが本当にやばいです。気狂いを完璧に演じていて、素晴らしい。エレン・ペイジが好きな人は、これ必見ですよ。(好きすぎて自分のtwitterのアイコンにしちゃってます)

シャラップ・クライム!!

2011年8月5日金曜日

アア。化物語。

映画の感想、書きたいことが書きたいように書けないので、今回はアニメ「化物語」を取り上げて気分をリフレッシュとします。やっと見ました

化物語


〈あらすじ〉高校3年生の少年・阿良々木暦は、文化祭の準備をしていた5月のある日、ひょんな事から2年間ろくに会話すらしたことがない病弱なクラスメイト・戦場ヶ原ひたぎの秘密を知ってしまう。なんと彼女には、およそ体重と呼べるものが殆ど無かったのである。
暦は秘密を知った日の放課後、ひたぎから秘密をばらさないようにと執拗な脅しを受けるが、それにもめげず彼女の秘密に対する協力を申し出る。彼女によると、2年前に1匹の不思議な蟹に出会い、重さを根こそぎ持っていかれたのだと言う。
実は暦もひたぎと同じような奇妙な体験をしており、その時に忍野メメという怪異に詳しい男の力を借りたのだった。暦とひたぎはメメに相談する為、彼の住む学習塾跡の廃墟ビルに向かう。メメによるとひたぎの体重を奪った蟹もやはり「怪異」であるという。ひたぎはメメの力を借り、自分の体重を奪った怪異と再会するのだが、それには彼女自身が封じたある過去の秘密が関係していたのだった……。



ライトノベルと言われる類の小説は、一切読まない。なのでこの「化物語」の原作である西尾維新のラノベを読んだことないんだよね。化物語が面白かったので、いい機会だから読んでみようかな。とは思うものの、ラノベって全然読む意欲を持てない。これは食わず嫌い。まぁ西尾維新は少年ジャンプにて漫画「めだかボックス」の原作をしているから割と親しみが元々ありました。西尾維新の特徴でもある言葉の遊びは、「化物語」でも存分に発揮されていました。言葉遊びには弱いというか、好きなので、彼女の遊びっぷりには感服というかとても気持がいいものがあります。

そうした西尾維新の特徴を遺憾無く発揮させるに、原作をまんまにアニメ化されていると言わせるほどの、忠実なアニメ化があったことがひとつ言えると思います。これだけの世界観を作り込めた制作陣、監督として新房 昭之がシリーズ構成に演出、豪華な声優陣と素晴らしいのヒトコトでしょう。おれはこの新房 昭之の演出(荒川や絶望先生を見る限り)ってビジュアルに凝り過ぎてる面があって、そんなに好きかって言われるとそんなでもないというか、まぁシャフト(制作会社)らしいに落ち着いてしまうところがあるんだけども。。

話を戻すと、ラノベらしいというのは偏見かもしれないけれど、いかにもな萌キャラやツンデレといったキャラクター造形がまたとても素晴らしいです。これもまた西尾維新さすがといったところなんでしょうが、中でもずば抜けて「戦場ヶ原ひたぎ」というキャラクターが個人的なツボでした。

さて、この戦場ヶ原ひたぎとは、メインヒロインであるにもかかわらず、一切媚びろうとはせず、暴言という暴言を吐きまくってはたまにデれる。究極のツンデレであり、ヤンデレである。アニメの中で主人公に救われたことをきっかけに主人公と恋仲へと発展するのが彼女です。

そんな暴言に暴言を吐くと彼女の紹介を言ったところで少しもわかってもらえないかと思うので、名言を紹介する。(アンサイクロペディアより)

「唾を飛ばさないで。素人童貞がうつるわ」

「阿良々木くんみたいないかさない童貞野郎と話してくれる女の子なんて、精々私のような行き遅れのメンヘル処女しかいないということよ!」


わかっていただけたか…。ひどいひどすぎる。そんな彼女をシリーズを通して、これでもかと愛おしく思えてしまうのはこの作品のとてつもない魅力の1つに間違いないだろう!

俺なりのツンデレ論や愛すべきめんどくさい女の子論みたいなものを話し始めてしまうと止まらなくなってしまう可能性があるので抑えておきたいんだけれども、めんどくさい女の子を好きになってしまうどうしようもない自分への自惚れ感には究極の勘違いの美学がある。そこを共感を持つことができる化物語の主人公阿良々木くんのようなマゾヒストには、肌という肌が震え上がって…アア。アア。とさらに性格の歪みをこじらせてしまうのではないかと思っています。(経験談)

もう一つめんどくさい女の子といえば、本谷有希子に登場する極めつけな女たちだ。本谷有希子もまた独特な言葉で魅了してくれる。めんどくささとその彼女の文体の魅力がわかる台詞を紹介する。

本谷有希子「生きてるだけで、愛」より

「ねぇ、どうしよう。駄目だよあたし。頭おかしいよ。」
笑っていたはずなのにいつの間にか自分の声が涙ぐんでいることに気付いて、その顔を見られたくなくてあたしは思わず津奈木にすがりついた。両腕を掴まれた津奈木は、あたしの背中をさするようにしながら小さくうんうんと頷くだけだ。
「頭おかしいのってなおるのかなぁ。あのさ、あたしいっつも津奈木に頭おかしいくらいに怒るじゃん?怒るのとかも凄い疲れるんだよ。・・・(省略)・・・」
津奈木の顔を見ることが出来ない。肩におでこを強く押し付けるような格好のまま、あたしは喋り続けた。セーターの毛がちくちくと頬に刺さる。
「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさぁ、あたしとは別れられないんだよね、一生。うちの母親は今でもたぶん雨降ったら寝てると思うし、あたしだってこんな風に生まれちゃったんだから死ぬまでずっとこんな感じで、それはもう諦めるしかないんだよね?諦めなきゃ駄目なんだよね?いいなぁ津奈木。あたしと別れられて、いいなぁ。」


あーめんどくせー。めんどくせー(褒め言葉)
戦場ヶ原ひたぎとはまたベクトルが全く違うめんどくささだけど笑 こういう文章を読んでなんか心にぐっときちゃうめんどくさい子好き系自惚れ男子は、「化物語」必見です。本谷有希子もいいよ。戦場ヶ原ひたぎはさることながら、千石撫子といういかにもな萌キャラ(妹系キャラ)もいい。ロリコン属性の人の琴線にも触れるものがあるのではないかい?

OP「なでこスネイク」恋愛サーキュレーション


なでこの名言

「暦お兄ちゃんはもう大人だから……、撫子の裸を見て、いやらしい気持ちになったりは、しないんだよね?」

どうしてこんな台詞がでてくるのかは、未見の人はアニメ見てのお楽しみですね。

2011年8月1日月曜日

マイケル・ケインの声が聞きたかった

PIXER作品というとやっぱり「トイ・ストーリー」シリーズが大きい存在ですが、そのトイ・ストーリーのスタッフによって作られたのが「カーズ」ですね。「カーズ」は、調子に乗りに乗ってイライラさせる主人公マックイーンが友メーターと仲間と尊敬する人と出会い成長していく物語で、キレイな終わり方に序盤のイライラも忘れてあーさすがPIXERだったなぁと思えたものです。その「カーズ」の続編!!!

カーズ2

〈あらすじ〉不思議な魅力いっぱいの“トーキョー”で、カーレースのスター、ライトニング・マックィーンと親友のメーターの運命を変える大事件が発生。やがて、フランスのパリ、イタリアの田舎町、そしてイギリスのロンドンへと物語の舞台は移り、世界を支配しようとする巨大な陰謀が車たちの未来を奪おうとする。絶体絶命のピンチの中で、マックィーンとメーターは気づくのだった。自分たちの最大の武器は、かけがえのない友情の絆なのだと。例えひとりでは敵わなくても、仲間がいれば強くなれる…。いま、彼らの友情が世界を救う!

そもそもおれ自身が車をそんなに好きじゃないからノリきれない。というのが、この「カーズ」シリーズの決定的に残念なところなんだろうなぁと思う。擬人化された車たちの物語だからこそ、レースシーンが盛り上がるわけだし、車たちだからこその感情移入させられる場面、シーンがあるのに、そこに「車ね、、」と思ってしまうってのは致命的だ。その点、「トイ・ストーリー」はおもちゃという誰もが感傷に浸れるところをテーマにしていたんだよね、すごいな。

さて、そういうノレなさを踏まえつつも、それでもPIXER作品、ジョン・ラセター監督、「カーズ2」前作からどういう続きを見せてくれるんだろうなぁという楽しみにしていたわけです。成長したマックイーンのかっこ良さは磨きがかかってるのか?前作で1番なによりかっこよかったドック・ハドソンは?と楽しみにしていたわけですが、残念なことに思った以上に期待を裏切られてしまいました。

今作でほぼ中心に活躍するのは、前作の主人公マックイーンではなく、その親友のメーターです。物語は、ひょんなことからメーターが大事件に巻き込まれてしまった結果、奔放ながらもマックイーンへの友情とその想いから世界を救ってしまうスパイ活劇となっているわけだけども、このメーターが前作の序盤マックイーンよりもイライラする。うるさいわー空気よめないわー迷惑をかけるわで散々なのに、物語は「君は君のままでいてくれればいいんだ!!そんな君がいいんだ!ほんとに爆弾だけど、爆弾でいいよ!!」と結局そのままで終わってしまうわけです。ん?友情ってそういうこと??全然納得できなかった。このメーター君のキャラクターを愛せるかどうか!が大きな分かれ目になることは間違いないかと。。

さらに、友情?に対して疑問が浮かんでしまうからこそ、心情描写が思ったよりも薄っぺらい。台詞でなんだかんだ綺麗なこと言ってても納得できないとびっくりするほど薄っぺらくなるんだよね。最後の最後のオチにしたって、ずいぶん回りくどいオチを用意したもんだなーと。裏の裏を展開させるにしたって、まわりくど過ぎた気がします。ストーリーにPIXERらしい緻密さや、キレイな伏線回収が見受けれらなかった気がします。

そこの物語の主軸で挫けてしまったので最終的に残念だったと思ってしまったのはあるけど、さすがPIXERと思えた点もあります。今作では、オマケな役回りにまわってしまったマックイーンくんですが、ワールドグランプリでさすがの走りっぷりを見せてくれてます。レースシーンでの演出は、前作以上に磨きがかかっていて興奮しました。ライバルとの勝負としてきっちり描いてあるので、がんばれ!マックイーン!と応援できます。(そこでメーターが序盤で迷惑かけるからいらっとするんだよw)

さらにレースシーンに引けを取らないアクションシーン!擬人化された車たちのスパイ活劇ってだけでなかなか楽しめるものです。タイヤから爆弾がー!そんなワイヤーアクションできちゃうの!?って空飛べちゃうのかい!!そんな変装あり???と思いもよらないスパイっぷりにびっくりしちゃった。こういうのってやっぱり楽しいし、子供心楽しめるよね。

あと日本を舞台にしてくれているので、PIXERの凝った映像背景が日本ってだけで嬉しいもの。日本ネタを豊富に盛り込んでくれているので、親近感があります。話題になっていた「ポリリズム」も本編中ではちょろっとしか流れないものの、最後の最後のエンドロールで丸々流れてきたときには感動しました。なんてったってディズニー・PIXER作品ですから。海外でもちゃんとエンドロールで使われてるのかな??

話は少しそれますが、PIXER作品というと吹き替えですね。「トイ・ストーリー」でもウッディの唐沢寿明とバズの所ジョージとびっくりするほど親しみがある。モンスターズインクの田中も。まぁそもそもディズニー系の海外のアニメーション作品というとどうしても対象年齢が低いので吹き替えが当たり前。字幕版はそもそも公開していないことが多いから、吹き替えの声優さんに親しみがそりゃあるねということわけですが、この「カーズ2」でもメーターの声を演じているのが、ぐっさん!!でもみんな知らないでしょ?親しみないきがしたけどどうなんだろう?

ほんとに知らないときっとちっとも気づかないんじゃないのかな?って思うくらいにメーターなんだよね。カーズから5年ぶりで忘れてましたwメーターのモノマネしてますっていうくらい。ぐっさんなんだーと知っておくとまた違った印象でメーターを見れるかと思います。

声優の話で思い出したのが、俺が楽しみにしてた大好きなキャラクタードック・ハドソン!!!!!がカーズ2ではちっとも登場しなかった理由にドック・ハドソンの声優だったポール・ニューマンの亡くなってしまっていたからだそう。字幕版のオーウェン・ウィルソンやらポール・ニューマンやら今作にいたってはあの英国のスパイのおっさんの声がマイケル・ケイン!!!吹き替えしか見たことないから親しみないけど、マイケル・ケインとか大好きな役者さんが声やってたんだ!!なんて地味に感動しました。いい人選です。

ポール・ニューマンというとやっぱり「スティング」やら「ハスラー」「暴力脱獄」が思い出すわけですけども、俺の大好きだったドック・ハドソンの声をを彼がやっていたとは。。そしポール・ニューマンが亡くなられていたから登場しなかったとは。。ご冥福をお祈りします。

話はずれたけど、「カーズ2」子供向けですが、映像はさすがPIXER、細かいところまで楽しめるということでどうぞ楽しんで来てください。ちなみに、3Dで見る必要性は全く無いので注意してください。

2011年7月31日日曜日

映画というよりアトラクション?

トランスフォーマー!!って言われるとやっぱり幼少期に見たアニメを思い出します。いやはや、オプティマス??なにそれ。コンボイ!そうだよ!コンボイ!!司令官!!みたいなね、ノリですよね。「トランスフォーマー」が公開した当時、ハリウッドでリメイクされたロボットたちを見てディテール高すぎて日本のアニメが大好きだった自分(トランスフォーマーよりビーストウォーズの方が好きだった)にはどうにも合わないなぁという印象を持ってしまい…結局流れに流れて「トランスフォーマー」も「トランスフォーマーリベンジ」も観てません。微妙な評価も多かったからそのうちって思ってたんだけど、優先順位がひたすら下がる一方で…結局「トランスフォーマー」三部作の完結編を1も2も見ずに迎えてしまいました。

トランスフォーマー/ダークサイドムーン


〈あらすじ〉1969年、アポロ11号が月面に降り立った。人類は歓喜に沸いたが、実はアポロ11号のクルーたちには、月面に不時着したトランスフォーマーの宇宙船を地球に持ち帰るという極秘ミッションが課されていた。40年後、トランスフォーマーのセンチネル・プライムが、月面から持ち帰られた宇宙船を利用し、故郷のサイバトロン星を復興しようとする。その頃、トランスフォーマーの友人であるサムは、ワシントンDCで新恋人・カーリーの家に居候していた。
まず最初に謝ります。ディテールがどうとか、合わないなんて見ずに決めつけていたことを反省します。さて、とりあえず大声で叫ぼうか。「カッコイイ!!!!バンブルビーかわいいすぎるだろwwwwwオプティマス最強!!司令官!!!!!ひゃっはー」…はい。変形ロボット、ロボットじゃなくて超生命体トランスフォーマーなんだけど、男のロマンでした。たまらない。
ド迫力の3Dで見れなかったことがとにかく残念で仕方ないけれど、それでも十分。クオリティーの高いCGに効果、これはさすがジェームズ・キャメロンも「このCG必見!!」と太鼓判を押しただけあります。オプティマスやらバンブルビーやらに萌えてかつド迫力CGアクションですよ、これはいい。

ただ映画として見るとどうにも内容はない笑 たしかに内容っぽいことを並べてはいるんだけど、後半の展開にしたってもっと見せるべきシーンはたくさんあったはず。154分もあるのにそこで出し惜しみしちゃったの?!って思ってしまったのは残念だったなぁ。でもね、ただでさえあのボリュームだからどこまで盛ろう??あーまだまだ盛りたんない!!っていう際どいところで我慢したんだろうなーマイケル・ベイ監督…とか思うのとぶっちゃけ内容のなさは、ぽいこと並べてそれで及第点で済んでるんだろうと思う。あのCGなトランスフォーマーたちのスペクタクルで満足できちゃえるっていうのが結局のところ。それでいいんだと思う。といっても、見どころすべてがそのCGだけってわけじゃないです。割と個人的なツボとしては、主人公のシャイア・ラブーフとヒロインのロージ=ハンティントン・ホワイトリーのキャラの立ちっぷり。これがなかなか。

シャイア・ラブーフ演じる非モテ男子かつ甲斐性無し男が、あれやこれやと無理くり戦いに巻き込まれてしまうあたりはまさしく男のロマン十分で、そんなヤサ男の彼女がとびっきりの美女ですよ。反則ですねー。冒頭の彼女の登場シーンの階段下からローアングルで彼女の脚をなめてハミ尻…シャツ一枚に下着姿の彼女が彼を起こすなり飛び乗る、いやーこれはオプティマスの攻撃に取らない破壊力です。彼女にはもう演技とか関係なく、美女!見てるだけでうっとりしちゃう美女!っていう極めつけなヒロインとしての役回り。物語は、ちゃんと童貞非モテなシャイア・ラブーフが、ちゃんと彼女と世界を守りぬくという完璧な抑えっぷりです。

予告編で結構煽り過ぎだったなぁとは思うものの、ヒロイン全然可愛くないやと思ってたから予想以上にツボで嬉しい。ヒロイン大事よ、男のロマンな映画だからこそ。
テンポは軽快で154分の長さはあまり感じなかったなぁ。結構序盤のコメディなやりとりも嫌いじゃない、むしろ好き笑 いいスピード感でした、トランスフォーマーたちのアクションシーンも前作は見難かった?みたいだけど、スローモーションが効果的で良かったです。これからトランスフォーマー/ ダークサイドムーンを見に行く人はぜひとも3Dをお勧めします!!

ちょっと急いで前作たちを見なければ…!ただ前作のヒロイン見たけど、今作のヒロインの方が好みなんだよねん。失敗した笑

2011年7月30日土曜日

「イリュージョニスト」と「ファンタスティックMr.FOX」

目黒シネマにて、「イリュージョニスト」と「ファンタスティックMr.FOX」の二本立てを鑑賞してきました。ブログ作ったものの、面倒で全然更新しないので気張らず簡単な感想をできるだけ更新できるよう努めたいと思います。

イリュージョニスト
〈あらすじ〉しがない初老の手品師とその手品師を魔法使いと勘違いしてついていってしまった少女の物語
漫画からのアニメ化といい、アニメ文化のある日本人にとって日本的なアニメーションの見過ぎで海外のアニメーションっていうと壁を感じるのかな?ディズニーとかあるから、そうなでもないとは思うけど、ディズニーは別格かも知れない。自分はそもそもアニメやらをとてもたくさん見るほうじゃないけど、外国のアニメーションっていうだけで壁を感じはしません。小さい頃は散々ディズニーの古き良き夢に溢れたアニメーションを見てきたし(特に白黒の古いやつは大好きだった)、小さい頃はケーブルテレビでカートゥーンネットワークにドハマリしていた時代もある。今でもトゥーンは大好きだし「ロジャー・ラビット」は幼心に何度も見返した自分の中の名作。この「イリュージョニスト」という映画は、フランスのアニメーションで本年度のアカデミー賞にもノミネートされている作品。フランスのアニメーションというと、わからないというか想像につかないだろうし見にくいと思う人もいるかもしれない。でも、絵柄の好みの問題はあるだろうけど、そんなことはいざ見てしまえばカンケイないくらいに魅力的だ。また関係のない話に戻ると海外のボードゲームが大好きな自分にとって、身近に思えてしまう絵柄でした。というのもある意味イリュージョニストの絵柄は、まるで海外のボードゲームの絵柄にでも出てきそうな世界、雰囲気。登場する手品師、腹話術師、ピエロなんて、憎たらしいくらいに可愛くてコマにでもカードにでもなりそう。身近さっていうのはどこから来るかほんとわからないものです。

話が右往左往しましたが、この「イリュージョニスト」、繊細なタッチで描かれるアニメーション、絵柄、色のトーン、個性的なキャラクター、世界観、雰囲気どれをとっても素敵でした。言葉の通わない二人の視線やしぐさ、行動、動きだけで(動きかわいいすぎる)、台詞はほとんどなく進んでいく物語は、言葉じゃなくて映像が頭にすーっと流れこんできて感情に訴えかけます。

とてもつらくて儚い、時代に取り残されていく中で彼らの選択。言葉にしてはいけない。言葉にできない。詰まっては息のできない想いが素敵なアニメーションの奥から胸に刺さってきました。最後のシーンには、うるっときてしまいました。

ショメ監督の他作品とジャック・タチの作品を見返そうっと。。もう一度見たいな。
PS.人生ゲームにしたら…とかすごい酷な言っちゃいけないこと言ってるきがするけど、時代に取り残さずいつでもボドゲとして遊びたい世界観だったな。ボドゲにしてw

ファンタスティックMr.FOX
〈あらすじ〉キツネのMr.FOXは農家の主人が仕かけたワナにかかり、妻のMrs.Foxと絶体絶命のピンチに陥る。その時、Mr.FOXは明日の朝まで生き延びられたら、泥棒ではないまっとうな仕事をすると誓う。2年後、すっかり足を洗ったMr.FOXは、妻と変わり者の息子アッシュと3人で穴暮らしをしていた。しかし貧乏な穴暮らしに飽き飽きしていたMr.FOXは丘の上の家に引越し、その向かいにある3つの農場での泥棒を計画する。
ぎゃーーー。まじで気持ち悪いくらい表情が豊かすぎる。パペットなのにあんだけリアルな表情にとにかく出だしからびっくりしたわ。それに加えてのコマ撮りパペットだからこその味わい深い動きが素晴らしい。物語は、童話を元にしてあるだけの軽快さで野生の本能を忘れられないお父さんとお父さんと敵対する人間たちの憎々しい戦い、そしてそこに巻き込まれてしまう家族と近隣住民!を描いてます。まずほんとにあそこまで作り込める技術に賞賛、演出も世界観も素敵の一言。登場動物?たちがもうはちきれんばかりに個性溢れててそんな彼らを見ているだけで幸せな気分にひたれるというものです。個人的なツボは、彼らの食いっぷりがやばい、素敵w元の童話を読んでみたいなぁー。

名台詞、もう頭から離れない。子供と見たい。観て欲しい。フォックス、お父さん最高!
ファンタスティックに生き残る!

2011年6月29日水曜日

クロード・シャブロル




クロード・シャブロルという映画監督をご存知だろうか?最近はまりにはまってる彼の作品を少し紹介しつつ、彼を知ってもらいたいと思う。

クロード・シャブロルはトリュフォーやゴダールなどと並ぶヌーヴェル・ヴァーグを代表する作家の一人だ。ゴダールとトリュフォーは知ってるけど…て言う人も少なくないはず。なんといっても彼の作品は、日本での未公開作品が多い。それじゃ知ってる人が少なくてもしょうがないというもの。

クロード・シャブロルが亡くなったことをきっかけに彼への作品が改めて注目され、「引き裂かれた女」を皮切りに「悪の華」「最後の賭け」「甘い罠」の未公開傑作選の公開、そして現在ユーロスペースでのシャブロル特集上映が組まれる運びになった。ユーロスペースから日仏学院へと一ヶ月近くも特集が組まれている!これはなんて嬉しいことだろうか!DVDにもなっていない作品が多いため日本で見ることができる最初で最後のチャンスかも知れない!?映画館で見れるというのは、まして最後かもしれない?

初めて見たシャブロルの映画「引き裂かれた女」の衝撃は、今まで体験したことのないほどの映画体験だった。人それぞれ好みがあって映画好きな人なら好きな監督さん、俳優、映画と色んな肌に合う合わないがあると思うんだけど、ここまで肌に合うと思った監督さんも珍しい。大好きなウディ・アレンに匹敵する!(特にエロい感性がつぼ)

シャブロルは、若い頃それはそれは性交にかまけていたらしく痴漢までしたことがあるという…そういうふっとんだエロの思考や感性が存分に作品に生きてる。ちょっとしたふとももの画、ただのキスひとつとってもいやらしく、場面であまりに唐突にエロスが紛れ込んでくる…そのエロさが違和感を生み出しつつも一つのシャブロルらしさとして醸成しているんだからすごい、ほんと直接描写があるわけじゃないところでもそこにはたまらない何かがあって、見るものを魅了してくる。それだけじゃない、画面にうごめく日常の歪さだったり、退廃さが彼の作品の特徴であり魅力だ。

彼は映画作法は、監督人それぞれあれど、映画作法というものは、作家の深い精神性に基づくものだと下にリンクした「不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話」の中で語っている。どんなに作法はまねることができても自分の精神性とは違うものでしかないんだという。彼のその映画作法におれは完全にほれてしまった、彼の深い精神性にとても共感とはいえないがこれまでかと思うほど惚れ込んでしまった。彼の作品は本当に面白い。


もし時間があるなら、ぜひシャブロル特集を見に行ってみてください。劇場でお会いしましょう!
クロード・シャブロル特集 映画監督とその亡霊たち
フランス映画祭2011特別プログラム



2011年6月27日月曜日

SUPER8 エルファニングの鼻を見つめて

JJエイブラムス×スピルバーグの夢のコンビ!

SUPER8

あらすじ

それは1979年の夏。少年ジョーは父とオハイオの小さな町で暮らしている。ジョーの父は保安官だ。ある日の夜、8ミリ映画の撮影をするために、仲間たち5人と家を抜け出した。だがその撮影中に、米軍の貨物列車の大事故を目撃してしまう。そしてカメラには“何か”が映っていた。それはアメリカが絶対に秘密にしなければならないことで、政府の指示によって秘密軍事施設“エリア51”からその“何か”を輸送する途中だったのだ…。しかし、少年たちは事故現場に8ミリフィルムの空き箱を落としてしまう。それを発見した米軍は、極秘情報が何者かに目撃されたと判断して町中を捜索し始める。
やがて、町では不可解な出来事が続けて起こるようになる。町から犬たちが消え、そして9人が行方不明になる。さらに、少年たちが事故現場から持ち帰ってきた謎の白いキューブが不思議な動きを始めた。その時、少年たちは全てを目撃し、真実を探しに行こうと決断するのだった……。



この映画は「ET」×「未知との遭遇」×「スタンド・バイ・ミー」と色んなところで宣伝され、スピルバーグとタッグを組んでいることも加味して、スピルバーグの映画を思い出させてくれるような映画だと期待された。まさしく映画へのそしてスピルバーグへの愛が溢れる映画だったよ。

「スタンド・バイ・ミー」と聞いてすぐわかると思うけど、主人公は子供たちだ。母親を亡くしてしまってどこか元気のない主人公と映画作りにはげむでぶちん、歯の矯正が可愛い火薬大好き野郎に、映画作りの仲間たちと個性あふれる言ってしまえばベタな子供たちが揃いに揃っている。そこに加えて急遽映画作りを手伝ってくれる女の子(ヒロイン)の登場とこれでもかっていうわかりやすいキャラクター配置がたまらない。徹底して子供目線で描いてくれているるし、この映画の舞台、設定があまりにも愛おしいので主人公に感情移入して童心に帰ってしまう。もしあのくらいの歳の頃にあんな映画仲間がいたら、その映画仲間の中にエルファニング(ヒロイン)のような可愛い子がいて彼女の演技に魅せられてしまったら…こんな淡い映画好きなら誰しもが描いたことのあるような夢がたくさん詰まっていた!!


なにせエルファニングの可愛さ、ツンデレっぷりと言ったら…もう言葉を失ってしまうw


序盤、そんな子供たちに魅せられていると…とうとう予告でも有名な列車事故が起こり、彼らは未曽有の”何か”に巻き込まれていくことになる。この列車事故のスペクタクル、わくわくどきどきはとても良かった。童心に帰って一緒になって巻き込まれていく追体験。

この”何か”は格好の宣伝文句となったのは言うまでもないが、それはJJエイブラムスの「LOST」でおなじみに隠して見せない演出がされているためである。存分に期待させた引きをどう思えるかが評価の大きな分かれ目だったんじゃないかなぁ。

そもそも宣伝が間違っていたのかなとは強く思った、客を呼ぶためのある種の誇張は仕方ないとはいえ、観客は観る前から壮大なオチを期待して見に来てしまったと思うから。

この映画は、親子愛、子供たちの友情、成長とよりどりミドリなところがあるから、テーマに焦点が絞りきれなかった。映画には色んなテーマが盛り込まれるし、それでも観客が迷子にならないように「全体に対する疑問」としてのセントラルクエッションっていうのが存在するんだよね。例えば「インセプション」で言うなら、主人公はインセプションを成功して子供たちに無事会えるか?だろうし、「ロード・オブ・ザ・リング」で言うなら、指輪を破壊することができるのか?みたいな

「SUPER8」のセントラルクエッションを観客は「巻き込まれた何か?」で見てしまう人が多かったんじゃないかと思うし、そこに特に目新しいものがなかった結果の微妙な評価じゃないかな。そこで肩透かし食らっただけならまだしも、冷静に考えれば唐突なだなぁと思わざる追えない展開が続くのは否めない。まぁでもね、そんなことは後から考える屁理屈だし理屈こねてるだけなんだよ。

自分は童心に帰って見れた!となんども言ってるけど、童心に帰れるかどうかがこの映画を楽しめるかどうかの1番の分かれ目だ。子供たちにとっては理屈なんてなしなんだってこと。それほどに夢というか子供心くすぐられる童心に帰れる映画として、とても良かった。


まぁぶっちゃけ途中から、エルファニングの「鼻」が可愛くて一人悶えてた…。しかも主人公の子の鼻も横顔の時に見える鼻のラインがこれまたいい…。なんて「鼻」の映画!!!しかも、歯の矯正くんまでいたとなるとおれはもうテンションあがりっぱなしよw子供たちは演技にしても本当に輝いてた。


あと、注意にエンドロールは決して席を立たないこと!!
エンドロールが1番楽しかったよ笑 ロメロ化学につぼってました笑


[蛇足]エル・ファニングはダコタ・ファニングの実の妹、この姉妹は演技やってくれるなぁ。
エル・ファニングはキレイ系でダコタ・ファニングはカワイイ系ってとこで結構対照的。

いい女優さんになるだろうなぁ〜彼女が出演してたソフィア・コッポラの「SOMEWHERE」を見逃しているので見たい!!