2011年12月28日水曜日

一瞬であるということ。永遠の信じられなさ。

純愛や青春映画を見たときのほろ苦さにどう立ち向かっていけばいいのか分からないなぁと思う。というか、死が絡まる純愛映画ほど、ましてわからないのである。たしかに大事な人が死んでしまうのは悲しい。


永遠の僕たち

交通事故によって両親を失い、臨死体験をした少年イーノック(ヘンリー・ホッパー)のただ一人の友人は、彼だけにしか見えない死の世界から来た青年ヒロシ(加瀬亮)だけであった。他人の葬式に参列するのが日常的なイーノックは、ある日、病によって余命いくばくもない少女アナベル(ミア・ワシコウスカ)と出会う

イーノックとアナベルの青春、青い若さと死が描かれるわけだが、「死」が日常の中にというより、二人の中に当たり前に存在しているのがこの映画の怖い所だった。いわゆる純愛映画だと死が受け入れがたいものでしかなくて、それを乗り越えていくというような映画も多いわけだけど。その点は、「永遠の僕たち」は特殊な純愛に位置づけられる気がする。

「永遠と信じられる、信じたい一瞬」をどう描くかみたいなのが、俺が映画を見ちゃうときに恋愛が絡んできたと時に考えさせられてしまう所であったりするのだけど、この映画でもラストシーンはまさしくその瞬間を思わさせてくれるものである。ただそのことで、ちょっと深読みしてしまいたくなったので、恋愛脳の独り言を書いてみようと思う。

「永遠の僕たち」というタイトルからも「永遠」な二人を意識してしまう節があるのだけど、原題は「Restless」。意味で言うと、落ち着かないとかじっとしていられない、不安な…というものである。邦題で浅はかにも意識させられてしまう永遠の二文字はどこにもない。どうして、Restlessというタイトルなのか。

最初に怖い所として、「死」が日常にあると言ったが、その点がひっかかってくる。つまり、主人公のイーノックは臨死体験をしたせいで唯一の友達として幽霊(ヒロシ)が描かれ、またアナベルの方も余命いくばくもないという死があり、それを受け入れる形で二人の愛が育まれていくことになる。死を体験しているから死と一緒に彼女を受け入れることができる主人公の強さと少しも死を恐れてはいない彼女の強さは、あまりにも強靭すぎるとしかいいようがない。

例えば、彼女はダーウィンを愛好しているというお話が出てくるが、ダーウィンを信じているということは、宗教的なすがる存在が一切ないということでもあるし、何故彼女が死に対してそこまで強くいられるのか不思議で仕方がない。

「死」とはひとつの見方でいえば、解放であり、永遠になってしまうものである。忘れるという選択ができないのであれば、忘れられなずにずーと背負って行かないければならなかったりする。そういうイメージがある。

その象徴的な存在が幽霊のヒロシだ。日本兵で最愛の人を残してしまったという愛の儚さが終盤描かれ、イーノックのアナベル喪失と並べられて描かれもするが、彼という存在がまさしく永遠的な存在なのである。死を恐れていない存在、アナベルも同じく死を恐れていない存在。

だから、まるでイーノックとアナベルは、幽霊で死んでしまってるかのような、永遠的な存在に思えてしまってくる。つまり「永遠と信じられる、信じたい一瞬」が当たり前になってくる。やっばり好きな人とはずっと一緒に居たいし、永遠と思える一瞬のために生きてるというか、その瞬間を信じてすがってたりするんだけど、永遠がどうたらとかすがったりとかしてるということがないんだよ。幽霊のヒロシの存在がその点をすごく曖昧にしている感じがして、二人はもう永遠に愛を分かち合えているように思えるんだよね。

そんな二人にも死という別れが訪れる。たしかに永遠でないという事実・彼女の死の現実に、イーノックは自棄になってしまったりするのもあるんだけど、これは彼女を失うことへの恐怖。これは純愛映画のいつもと同じようなベタなお話、失って初めて彼女との永遠と信じられる一瞬を手に入れてたんだと気づくという。

でもね、アナベルの死を迎えてイーノックが最後笑顔を見せる瞬間、

永遠でしかなかった相手を失えた喜び

になっていたように思えたんだよ。

もうなに言ってるか、上手く伝わるかわからない文章で申し訳ないんだけど、普通なら彼女が永遠的な存在ではなかった事実に触れ、けれど失って永遠と信じられる一瞬を手に入れていたんだという愛にすがって生きていけるというようなお話になってしまったりするのを、永遠と信じられなくなった事実をくれたことへの喜び・愛の見出してるように思うんだよね。

幽霊ヒロシの最愛の人へと宛てた手紙、彼の中で彼女は永遠の想い人として生き続け、愛がそこにはある。
同じように、アナベルを失ったノーイックの中でもアナベルが生き続けていく。これは並べられて描かれるように思うのだが、先の俺の解釈にしたら同義にも近いけど、対比とも取れるようになる。

幽霊ヒロシの最愛の人へと宛てた手紙、彼の中で彼女は永遠の想い人として生き続け、永遠と信じられた一瞬に、愛を見いだせる。一方で、アナベルを失ったイーノックは、永遠と信じられた時間の中から永遠の信じられなさ、一瞬が一瞬でしかないことに愛を見出いだせた。

永遠はない。けれど、積み重ねた一瞬が永遠と信じられるのではなくて、一瞬でしかないから、愛が見いだせた。

タイトルの話に戻れば、不安でいられること、じっとしていられないこと、落ち着いていられないこと、つまり「Restless」その一瞬一瞬が永遠でないから、一瞬でしかないから…。そんなことを改めて考えてみたら、永遠と信じたい一瞬を求めてる、すがっていたい人間としては、彼らが到達したその場所、イーノックの最後の笑顔に涙するしかないんだよね。

もうなにが言いたいのかよくわからなくなっちゃったけど、青春・純愛映画が死を絡むことでただ永遠の一瞬を手に入れたと描きがちで、だから死が絡む映画って嫌いなんだけど、ここまで死について深読みさせてくれる映画なんだと思うとその一線からちゃんと踏み出していたと思えて嬉しかったんですね。

みずみずしい若い主演の二人の演技は素晴らしいかったし、洒落た衣装に、音楽までとっても良かったです。
NICOのThe Fairest Of The Seasons、BeatlesのTwo of us 頭から離れないや。

0 件のコメント: