2011年11月8日火曜日

oops!そんな関係あり?ありかも!?

ステイフレンズ

最も肌に合う監督ウディ・アレンのラブコメを除けば、今まで見たラブコメ作品の中でも1番かも知れないくらい良かった!

あらすじ:ジェイミー(ミラ・クニス)は、ニューヨークを拠点に有能な人材のヘッドハンティングを仕事にしていた。彼女は、ロサンゼルスで活躍する敏腕アート・ディレクターのディラン(ジャスティン・ティンバーレイク)をニューヨークに招待する。その目的は、彼のヘッドハンティングだったが、会話を重ねるうちに自分たちの恋愛観が似ていることに気づく。2人ともあまりに多くの恋愛で失敗を重ねてきたため、諦めることに慣れ、恋愛そのものを楽しむことができなくなっていたのだ。ジェイミーの説得で転職を決めたディランは、ニューヨークで暮らすようになる。たちまち仲の良い友達関係になる2人。お互いにまったく恋愛感情を持たずに。しかし、ある時ジェイミーがもらした”セックスしたいわ”という一言がきっかけで、2人の関係に変化が訪れる。ジェイミーとディランは、恋愛なし、感情なし、甘い言葉厳禁を条件に、セックス・フレンドとして付き合うことにしたのだ。お互いの気持ちいい部分を言い合い、余計な感情を持ち込まず、純粋にセックスを楽しむ。しかし、関係を重ねるうちに、やがて2人の間に微妙な変化が生じてくる…

セフレもののラブコメということでちょっとネタっぽく捉えられがちかも知れないし、ちょっとカップルで見るにしても一抹の不安を持たれちゃうかも知れないし、まして恋人になれてない男女がデートでチョイスするには、これまた大丈夫なのかよ?セフレって?って思われてしまうかも知れない、それくらいセフレって敬遠されそうなテーマだけど、固く考えないで欲しい。

本当にオススメで絶対観て良かったと思えること間違い無いし、笑って泣けてほんとに最後の最後には多幸感に包まれて男女で見に行ったなら、なんだか真実の愛って本当にあるのかなって思えちゃうような映画。

モテキのエントリで語ったような性愛と真実の愛の葛藤みたいな話では、全くないです。モテキは、これが真実の愛と貫いた感情を性愛感情に揺らいで妥協しちゃうシーンが許せなかったというか気持ち悪かった、なんて話をしたけど、ステイフレンズは性愛も愛もなしの体の関係の割り切りっぷりです。下心があったかどうかなんて問題になんかならなくなっちゃうんだよね、やれればいいというわけじゃなくて友達として本当に仲がいいからこそ、大事に想ってる友達だからこそセフレになれちゃったなんて。

この映画、ほんとに性愛も愛もなしに、テニスだ!スポーツだ!なんてえっちを楽しんじゃう二人に対して、そんなのあり?とか思う間もなく、それもそれでありだと思わされてしまうんです。少し前にナタリーポートマンとアシュトン・カッチャーの主演で同じセフレをテーマにした「抱きたいカンケイ」という映画があってそれを引き合いに出せば、「抱きたいカンケイ」の方では、男の方が女の子のことを好きなんだけど、友達でもなく恋人でもなくセフレになってしまって、もう友達にも後戻りできない、下心的にも、でも恋人にもなれない、どうしようの葛藤がセフレ関係の根本にあるんだけど(このせいでナタリーがどうにもちょっとあまりにもめんどくさい女という設定にならざる負えなかった)、それに比べて「ステイフレンズ」で言えば、別に恋愛対象じゃなしに、本当に仲の良い友だちだからこそ、ちゃんと割り切れちゃうんじゃね?というあくまで友だちだからこそを貫いていく。

男女の友情があるとかないとかは関係なくて、実際問題、体の関係があったら友達じゃないとか意見はあるかもしれないけれど、当人に割り切られてしまえばそれまでだし、ただの価値観の差だから、そもそもの人間関係の複雑さに相まって、無根拠な関係のいやしくもセフレという関係の根拠付けができてしまったというだけのことに過ぎない。

根拠付けの一端を担うのが、ふたりの関係の根底にある誰もが感じたことのある恋愛の煩わしさ。たかが恋愛だけど、されど恋愛で、エゴがあるし、独占欲があるし、あなたは私のもので、私はあなたのもの(あまりに適当な文で申し訳ない)別れる時の後ぐされもめんどくさい、けどえっちはしたいけど誰でもいいわけじゃないし、そもそも恋愛しなきゃえっちできないってなんでだっけ、えっちをスポーツに割り切れちゃう信頼できる友達がいた!!という流れは残念ながら、わからないでもなく思えてしまうのである。

わからないでもないっていうのは、現実にあったらちょっと羨ましいかもというくらいの話で、実際にしたらそんな仲の良い異性なんていないわけだし、友達だからこそのセフレになれちゃうような人なんているかよ、ってなるから若干現実的じゃない。だからこそ、抱きたいカンケイはより現実的な話に置き換えられるんだけど、ありえないけどありえない話じゃないと思いたい羨望をもってして、ステイフレンズのセフレ関係が成り立っちゃう経緯のわからないでもなさっていうのがそれでも納得できちゃう気がする。ましてセフレ関係をああも軽く楽しく描かれてしまってはどうしようもない。

意識しちゃうような異性を異性として意識してないわけじゃないけど、体の関係持っちゃったけど大事なそれでもただの友達として割り切れるティンバーレイク(映画の中の彼)は、正直いってすっごいよねー(棒読み&嫌味)

あれやこれやとこの映画のセフレ関係がどうして根拠付けられちゃう・納得できちゃうのかをだらだら話してしまったけど、この根拠付けができてしまうなによりもの原因・理由がキャスティング。キャスティングが本当に素晴らしいんだよ!

もうね、主演の二人のミラ・クニスとジャスティン・ティンバーレイクが可愛いすぎる!!!こんな可愛いのありですか?ええ?ってくらい可愛い。お互いを信頼してる関係、大事な友だち、友情、けど、えっちしちゃう男女ってさ、配役一歩間違えたら絶対根拠付けきれなかったし、気持ち悪い映画に仕上がりかねなかったはず。映画としてキャスティングがここまで生きてる作品って久しぶりに観た気がするので、本当に嬉しかったというか素晴らしいしかでてこない。

熱く語ってしまったけれど、そんな2人がセフレという関係からどう一歩踏み出していくのか。ぜひ見届けてあげてください。最初にも言ったけど観たら絶対多幸感でいっぱいになるよ!!

より複雑になってく現代の人間関係の中で、この映画で言えば始まりが複雑なセフレ関係からだったというだけであってさ、ソーシャルなつながりにしたって、遠距離な関係にしたって、どんな出会い方、関わり方にしたって、2人の間にどんな障害があろうがなかろうが、どういう関係の結ばれ方からどういう発展するかなんてわかったもんじゃない。だから片想いの人にしても複雑な関係の中で愛を模索しいている人には、本当の愛への一歩を見つけられるようなそんな勇気のもらえるような映画。そういう意味でも普遍的な愛の映画なんだと思います。

*一応の補足でセフレを肯定してるわけじゃないと言っておこうかな、この映画に置けるセフレ関係を納得できちゃう根拠付けのコラムです。セフレという関係について当人に割り切られてしまえばそれまでという話をしたけど、実際現実のセフレ関係においてその割り切りにちゃんと納得の根拠付けがしきれているとは思えない事のほうが多いと思う、、なんて他人がとやかく言えることじゃない余計なお世話でした。補足失礼。

2011年11月3日木曜日

SFの良さを改めて思い出させてくれる傑作

ミッション:8ミニッツ



監督は、「月に囚われた男」のダンカン・ジョーンズです。「月に囚われた男」は、とてもお気に入りで監督のSF愛と才気の溢れている作品でした。ミッション:8ミニッツは、そんな監督の第二作ということもあってかなり期待していました。先に結論をいえば、この期待をさらに上回ってくれた傑作です。

あらすじ:シカゴ行きの通勤電車の中で目を覚ました陸軍パイロットのコルター。目の前には見知らぬ女性がいた。しかも、鏡に映る自分の顔にも全く覚えがなく、知らない男の身分証明書を携帯している。コルターが混乱していると、乗っていた乗車が大爆発した…。目を覚ました時、コルターは自分が驚くべきミッションに参加していることを知る。電車爆発テロで死亡した男の死の直前8分間の意識に入り込み、テロの犯人の正体を暴けと言うのだ…。

観客も主人公も最初から一体どういう状況かわけのわからないど謎のど真ん中に置かれてしまう。そこから8分間のミッションが繰り返されていく中で、まるでパズルのように1つ1つ繋がっていくシークエンスはとても気持ちがよく一緖になって謎解きをしているような感覚に落ちていけるので、とっても感情移入がしやすくグイグイ引きこまれていきました。

原題のソースコードというタイトルにあるように、彼を8分間のミッションへと駆り出すプラグラム。これが物語の核になるんだけど、あまりこのプログラムについは世紀の発明という以外にはあまり詳しい解説がされなかったと思う。だから若干のもやっとする感じはあって、彼が8分間ある人間の死の直前の記憶に入り込み、真犯人を突き止めようとするわけだが、どうやってそんなことができるんだよ?プログラムって?という疑問はたしかに抱く。でもこの情報化社会にあって、そんな無理そうな話でもないなーって思えてしまって腑に落ちました。

人々の記憶が情報に置き換えられるような時代、記憶にアクセスできるような時代がSF的な発想として片付けるでもなく、この先の現実にありそうな未来に思ってしまえたりする。そんな未来だったら?むしろその発明がもうできていて、プライバシーや悪用されてしまいかねないというような問題から公表されないで極秘裏に開発が進んでいるかも知れない。このSFは、真新しささえないものの、実感のある設定に思えて、SF心くすぐらっれた。小難しくはならないような配慮も見えつつ、観客の想像力を信頼してくれてなぁと。この観客への想像力を信頼ってすごい大事だよね。なんでもかんでも演出過剰だったり、説明過多な作品も多いから、すごい嬉しいなって思う。こういうところからも、この監督のSFへのジャンル愛が見えてくる気がします。

できる限り情報を入れないで観に行ってもらいたいなーと思うので詳しいことは言えないんだけれど、SF、サスペンス要素に絡み付いて描かれていく、人間ドラマが本当に素晴らしかった。「人間ひとりの価値、個人の価値というものはどこにあるのか?」これは監督がこの脚本を読んだ時にこの作品の良さを人間ドラマも部分にあり、惹かれた点として挙げていたもの。アイデンティティとして「月に囚われた男」にも通ずるようなテーマ性ですね。

SF的な特殊な環境だからこそ浮かび上がる哲学性を帯びる人間ドラマをぜひ堪能して欲しいです。ラストには、ほんとグッと来ました!涙がじんわり!

ちなみに
「この映画の結末はいろんな解釈ができますし、観客の間で議論を呼ぶと思います。でも僕の中では“たったひとつのエンディング”しかありえないと思っているので、そこいたるヒントを映画全編に散りばめました。ちなみに、オープニングタイトルが出るシーンにもすでにヒントが入ってます。何度も観て楽しんでほしいですね」

なんて監督インタビューの記事に書いてあったので、この監督の"たった1つのエンディング"に辿りつけるのかを考えてながらみてもらえるのも面白いかも知れないです。正直自分は辿りつけたのかどうか…もう一度観に行きたいと思います笑 

あと「映画通ほど騙される」の売り文句には、ピンとこなくて全然わかりませんでした。もっと映画勉強します。あとあと、、ネタバレになっちゃいそうだから言わないけどすっごい好きなアニメをちょっと思い出しちゃいました。その話はまたしようかな。