2011年8月24日水曜日

エンドクレジットが可愛いかった〜アザーガイズ〜

”…じゃないほうの男たち”を8月20日公開初日!ヒューマトラストシネマ渋谷で鑑賞してきました。

「アザーガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!」


あらすじ:ニューヨーク市警に務めるタフガイのテリー刑事(マーク・ウォールバーグ)。彼は、NYのヒーローとしてメディアにもてはやされていたダンソンとハイスミスが殉職してしまったいま、次期スター刑事の座を狙っていた。しかし、運悪くパートナーとして外回りよりもデスクワークが好きなアレン刑事(ウィル・フェレル)を押し付けられる。正義に燃えるテリーだったが、コンピューターの前を離れようとしないアレンのせいで、緊急無線が入っても出動できずストレスがつのるばかり。そんなある日、国家レベルの“巨悪”である金融界が絡んだ事件が発生する――。


ボンクラへなちょこ??刑事二人組のコメディ映画です。

主演の二人の内の一人、マーク・ウォールバーグというと最近では「ザ・ファイター」で素晴らしい肉体を披露してくれていて、苦悩しながらも夢を果たすという健気な兄想いのいい弟役を演じてくれていたわけですけども、この作品では打って変わって、ボンクラ刑事です。まさかね、と思いたくなるような事件を起こしてしまい、NY中の人々から敵視されてしまうという悲しい男。

そのため、アザーガイズから抜けだし、刑事として街のヒーローになりたいという想いを鬱積しているんだけども…なんと相方が現場への出動よりデスクワークをこよなく愛してるというさらなるへなちょこ野郎、アメリカのコメディアンで俺たち〜シリーズで相変わらずなおちゃめなおじさまウィル・フィレル!

なんともちんちくりんなコンビ、この時点で笑える。

冒頭に不死身の刑事コンビ、軽犯罪者を捕まえるためだけに街にあらぬ被害をもたらせようともスターとして許される完全ステレオタイプの奴らが登場する。こいつらこそ、映画的。現実離れしたそのポテンシャルと何もかも許されるスター性を魅せつけてくれるが、不意に訪れる彼らの死が見ている観客をごそっと現実に引き戻す。そこで目にするのが「アザーガイズ」だ、じゃないほうの男たち。

この作品において、アザーガイズたちでもやれるときはやれるんだ!!むしろアザーガイズたちが重要なんだ!!と訴えかけてるはず…だけど、結局彼らはある意味スターじゃないかw最高だよwという裏切られたようなお笑い展開が楽しいし嬉しい。

そんなじゃないほうの二人のまるでコントのような早いテンポで迫ってくるボケ、満載なコネタは面白いのだけど、描かれていくテーマは社会派で金融問題という時事ネタをしっかり扱ってくれるため、ギャップがありました。そのせいで?、思ったよりも弾けてる印象は弱く、まったりしてたなぁ。しかも、予算が結構かかってるみたいでしっかりしてるアクションがさらにコメディ要素から飛び抜ける感じ。もっともっと弾けた二人が見たかった。向こうのギャグだから伝わりにくく追いつけないところも多々あるから、こういう印象になるのかなぁとも思ったけど。

それでもあのコント、右から左、はたまた上か下かと思いもよらないようなとこから飛んでくる笑いにはちょっとばかし感動。こうも詰め込めるのかってくらいに詰め込まれてて楽しめました。

ツリー・オブ・ライフみたいな重厚感のある陶酔させられてあとから考えさせられてしまうような映画もいいけれど、気晴らし娯楽作品も大事だ。軽く何も気張らずに観に行ってもらって楽しめるはず!

2011年8月22日月曜日

周到な筋肉が、勝利を導く!

筋肉質な男に嫉妬している草食男子の戯言をむざむざとあざ笑うように、女子の人気を不動のものにしていく。筋肉・・筋肉・・そしてコンプレックスの蟻地獄へ突き落とされていくのだ。

「メカニック」


あらすじ:ターゲットを機械(メカニック)のように的確に始末する暗殺者、アーサー・ビショップ。ある日、雇い主の闇組織から、アーサーの恩人、ハリー・マッケンナ暗殺指令が入る。ハリーが組織を裏切ったというのだ。葛藤しつつもハリーを殺したアーサーは、ハリーの息子、スティーブと再会する。何も知らないスティーブは、アーサーに暗殺のテクニックを教えて欲しいと言う。アーサーはスティーブを助手として暗殺術を仕込み始めるが…。

ジェイソン・ステイサム様の表情ひとつ変えずに仕事をこなしていくあの姿に興奮するのは男だけじゃない。脱がれたが最後、むしろ女性が喜ぶ映画なんじゃないかと思うくらいだよ。夫婦で足を運んだ奥さんがステイサムにうっとりしている横目に旦那は、自分の筋肉のなさを呪う。

映画は、とてもテンポよくハラハラドキドキさせてくれて殺しの仕事は順々に派手になっていく小気味いい展開に興奮しました。アクションシーンは、かっこ良い。ハゲなのに。ハゲだから?。こんなカッコイイハゲもいない。

後半、完璧暗殺人のステイサムが、義理から弟子を取るハメになるんですが、その弟子がベン・フォスター!!うーん可愛いwステイサムと並んで仕事するときの二人の感じ!!べん・フォスター演じる役柄もプライドが高くとちりながらも憎めないキャラクターで冷徹なステイサムとのコンビが最高。

若干のエロでお嬢とのステイサムのベッドシーンはあるものの、ヒロインというヒロインはいないので、この映画のヒロインでもないけど、可愛さを補ってくれてるのは、べん・フォスターでした。

そんな二人の仕事っぷりに興奮して、ハラハラドキドキな展開の中、正直あのラストには裏切られました。笑いをこらえながら、ステイサムの完璧な仕事ぶり、暗殺者としてのプロの世界を甘く見ていたと反省させられた次第です。

この前友達の胸板が厚くなっててびっくりしたばっかだっての…しかも、女友達に「女の努力は化粧!男の努力は筋肉!」という格言をいただきまして…少し違うだろうとは思ったもののね、筋肉をつける努力をしようと思っていたところですよ。

周到な準備として筋トレ、がんばろう笑

2011年8月14日日曜日

トッカータとフーガを親子で弾くあのシーンだけでもう

今年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品。パルムドール作品が、規模大きくたくさんの劇場で上映されるのでとても珍しいです。これだけの規模の公開とたくさんの話題呼びと集客をしてしまうブラッド・ピットとショーン・ペンは偉大だ。

「ツリー・オブ・ライフ」

あらすじ:かつて父が望んだように仕事で成功を収めたジャック。けれど何を成し遂げても、誰と一緒にいても憂いに沈んだその心が晴れることはない。1950年代にテキサスで過ごした少年時代の記憶を手繰り寄せれば、人も自然も愛しなさいと優しく諭す母と、抜け目なく立ち回れと厳しく教える父がいて、弟たちと共に父の怒りを買っては恐れおののいた日々がよみがえる。絶対的な君主である父は畏怖と憎しみの対象だった。


宗教というと正直わからないですが、宗教色の強い映画であると思います。この時点でかなり人を選ぶことは言うまでもないと思いますが、それ以前にまずパルムドール作品であるということも忘れてはいけないです。パルムドール作品というと少し賛否でいうところの否が多いような作品に賞を取らせたがるきらいがあるように思えるので(難解というか癖というよりアクが強い)、まずパルムドール作品を今まで一作も見たことがない人には少し心構えが必要なのではないか、と思う。まぁそんなこと関係なく気にせずに味わって感銘を受けてもらえたら嬉しいな。

巨匠テレンス・マリック監督が崇高に詩的で観念的に描く「ツリー・オブ・ライフ」どういう想いを持つかはわからないけれど、絶対に見ておくべき作品であることは間違いないです。やっぱり一般受けしなそうというか、アクは強いですけども。


冒頭、旧聖書「ヨブ記」の引用がありました。
神は問う。私が地球創造の基礎を成し遂げた時、明星の星たちが瞬き唄い、神の子供たちが歓喜に叫ぶ時、汝はどこにいたのか?

ヨブ記に関しての知識があるわけじゃないんだけど、ざっくりヨブ記wikiを読んでみました。このwikiの下にあるヨブ物語がわかりやすかったんだけど、
 『ヨブ記』というのは、ヨブの試練とその回復の物語だが、単純な神の救いの物語ではなく、「人生の理不尽な苦しみをどう解釈したらいいのか」、「本当に神様のなさることはいつも正しく公平なのか」、「なぜ神様を信じるか」という人生の深い謎を取り扱った物語
なんだそうです。この映画、ある意味ではまさしくヨブ記なんだろうな。ブラピが演じる信仰深い厳格な父親はヨブであるとも取れる。

神様が救ってくれる、信じるものは救われるとよく言われるけど、実際宗教の良し悪しとか関係なく信じて救われてる人がいるならそれでいいよね。信じられないから胡散臭く思えちゃうけど。という割と雑に無宗教なスタンスを持ってて「信じているからこそ、救われない」って普通にあると思えてしまうような自分にとっては、ヨブ記で語られるテーマは、最初に宗教色は強いと言ったものの、じゃぁ「どうして信じられないのか」と逆転する形で心にずしんと来るものがありました。宗教的な噛み合わせはあるにしろ生きることとは生命とはなんなのか、という究極的でもあるテーマを描いてくれてる。

決して物語そのものが難解だというわけではなく、描かれてることは実にシンプル。父への嫌悪、愛情の空回り、理不尽な苦しみ、子供の死、愛や生きる意味への自問…。ただ起承転結がないと言っていいため、テーマ性がそもそも深いのもありますが、終りを提示してくれない物語に対して自分がどうこの物語を考えさせられるか、むしろ考えさせられたいのかで消化不良というか息の詰まる想いをします。

いってしまえば、この作品テレンス・マリックの抒情詩です。
序盤にあるイマジネーション映像の羅列、ここは一切の脈絡もなく美しく鮮烈な映像が目に焼き付けられます。そこに圧倒的な存在感をもって流れるクラシック音楽。アクの強さだけでなんかすんでないですよ、完全に監督が自分の世界に浸っていると言っていい。

そんな抒情詩的である、あの予告編の雰囲気が二時間続くような作品ではあるものの、正直眠くはなりませんでした。こういう作品眠くなって寝てしまえば、それまでなんですけど、一切眠くなりませんでした。めまぐるしく動くカメラ、映像美にクラシック音楽があいまって完全に陶酔させらてしまった。静かにこれまで浸っていていられる作品も珍しい。

特に予告編でも使われていたスメタナの「モルドヴァ」が流れてきた時の、震えっぷりは凄まじかった。本気で震えました。心の底から。こういう映画体験ってなかなかできないです、ハリウッドだけじゃないアメリカでもまだまだこういう作品が撮れるんだと嬉しさもこみ上げて感動しました。


わからないです、結局何が言いたかったのかも、一つ一つのシーンの意味も、手からこぼれ落ちてくかのようにつかめません。宇宙まで広がる壮大さと自身のちっぴけさと生命の大きさの前に、別次元で展開されてしまった感は否めないのですが、わかろうと思って理解できる映画じゃないんだと思うし、陶酔させられた、結局これが全て。

ブラッド・ピットは、今年オスカーあるかもね!それほど、父親役の彼は素晴らしかった。たぶんブラッド・ピットだけで見に行く人もそれだけで浸れるくらいに完璧な演技を見せてくれています。次男がめっちゃブラッド・ピットに似てて可愛かった笑

2011年8月11日木曜日

いくら自由でもさ!寝取るなんて聞いてない!!

もうすぐ公開が終わってしまいますが、この前のスーパー!と二本立てでシアターNで見てきました。

「メタルヘッド」

監督: スペンサー・サッサー - 出演者: レイン・ウィルソン, デヴィン・ブロシュー, ジョセフ・ゴードン=レヴィット, パイパー・ローリー, ナタリー・ポートマン
あらすじ:自動車事故で母を亡くし、心に大きな傷を負った少年TJ。そんなTJの前に、長髪でヘビメタ好き、下品で乱暴で何をしでかすかわからない謎の男ヘッシャーが現れ、TJの家に勝手に住み着いてしまう。一方、上級生に暴力を振るわれていたTJは、スーパーのレジ係のニコールに救われる。TJはニコールに淡い恋心を抱くが、予測不能のヘッシャーの行動にTJとその一家は振り回されていく…。

率直に言うと、何にしてもジョセフ・ゴードン=レヴィットが美味しかった。本能的に生きててぶっ飛んでてメタル野郎で気狂いで常識を逸脱した人間を個性的にかつ魅力的に演じてくれているんです。「500日のサマー」では女女しい男を演じていたものの「インセプション」では、硬派な二枚目をきっちり演じてくれた彼が、その日本人受けしそうなイケメンすぎない甘いマスクをもってそんな役柄を演じてるとあっては、それだけで十分な破壊力があるというもの。彼のメタル野郎なブリーフ一丁な姿を見れるだけでもうずるい映画です。

脇を固める役者陣がまたいい。ナタリー・ポートマンの地味なバカ女が可愛い、ナタリーはどんな役柄も可愛いですね。お父さんのレイン・ウィルソンもスーパー!でトチ狂ってた印象とは様変わりに陰気臭い中年親父を演じてくれてました。素晴らしいです。TJは、子役にしてはなかなかの陰気さがあってよかったです。

物語は、簡単にいってしまえば、ヘッシャーくんのぶっ飛んだ破天荒な生き方に振り回されていく中で人間として家族として再生されていくというお話。想像していた以上に吹っ飛んではいなかったしキレイな終わり方をしてくれました。そういう意味では、ヘッシャーが常軌を逸しつつも、収まりのいい人間ドラマに落として込めていたきがします。

気になったところが、下品な発言やらよろしくない破天荒な行動が苦手というか許せなくなっちゃいそうなところ…一貫してる芯の強さとか、可愛げがなんかあるってとこで許せちゃうんですかね?ここらへんは演じるジョセフ・ゴードン=レヴィットさまさまな所なのかもしれないですけれど、俺は可愛げあるわ、結構ギャグ、笑えるキャラとして一歩さがって見れちゃった部分があります。でも一歩引けて見れちゃったのは逆にどうなの?という話にもなるかと思いました。現実でいたらドン引きするのは間違いないし、映画のテイストでいうと全くギャグとして描いていないというか大真面目にヘッシャーくんを自由にしてるので、そこを納得というか許せちゃえはするんだろうけど、うん?ってなっちゃう人もいるのかな。結局ヘッシャーくんは何者でもないというか、正体がなにかあるわけでもなく、物語が終わってしまうので、重要な役割を担っているにしてはずいぶんお粗末な扱いではある。そんなこといってもしょうがないんですよねたぶん。ヘッシャーくんはヘッシャーくんで関係ない、そういう映画という枠にすらおさまらない男ってことでいいのかな。物語終盤で、主人公TJくんをさらにまだ突き落とすか!と言わんばかりに淡い恋心を抱いていたナタリーを寝取っちゃう展開もなかなかえげつない。彼は悪魔なのか天使なのかただの馬鹿なのか。ほんとなんなんですかね。

まぁもっとも脚本が甘かった気がするかなぁ、車に執着する主人公にもほとほと置いてけぼりにされたし、あの主人公に固執するいじめっこも結局ナタリー出会いのきっかけなんかね、結局のおばあちゃんの死で終わりに向かっていくのも安易さがある。母でおばあちゃんで…ね。実際でいうところのヘッシャーの自由さとそこまで親子がリンクするようなことってそんななくね、

色々もったいなさが残るけど、感動とバカバカしさが絶妙ないい映画でした。楽曲もメタリカでメタルのツボは抑えてくれるんじゃないのかな?よくメタルはわからないけども。

ヘッシャーの人生を今を生きてるっぷりは、見習いたいです。

2011年8月7日日曜日

なによりもあの狂ったエレン・ペイジに慕われるなんて羨ましい

渋谷のシアターN、新宿の武蔵野館で絶賛公開中の

「スーパー!」

観てきました。
〈あらすじ〉さえない夫フランク(レイン・ウィルソン)は、セクシーでイカれたドラッグディーラー(ケヴィン・ベーコン)を追ってフランクの元を去った妻(リブ・タイラー)を取り戻すために、クリムゾンボルト(訳注:「赤い稲妻」)に変身! お手製のコスチュームに身を纏い、手にはレンチ。エッチでクレイジーな相棒ボルティー(エレン・ペイジ)と共に危険地帯の犯罪に立ち向かう。すべては愛する妻のため。でも世の中、思い通りにはいかないもの。想定外のエンディングに向け、クリムゾンボルトは猛ダッシュ!やっぱり男はつらいよ…。掟は大昔から決められていること。子供に猥褻な行為はしない。列に割り込んだり、車に傷つけたりしない。もし掟を破れば、クリムゾンボルトが許しません。

特殊能力を持たない素人ヒーロー映画というと、「キック・アス」がすこぶる評価でミニシアター系としては異例の動員、人気爆発っぷりだったことが記憶に新しいです。「キック・アス」のような映画かな?とお思いになってる方が多いかも知れないですが、この「キック・アス」と「スーパー!」やってることはほとんど同じと言っていいと思いますが、全く別物なのでご注意してください。

主人公フランクが妻を寝取られて、絶望の淵からTVで見たヒーローに感化され、神様から何を悟ったか、ヒーローとなって悪を懲らしめるわけですけども、、

キック・アスにしてもそうで、どちらも悪に立ち向かう方法としては、結局暴力でしかないんです。「キック・アス」における暴力の取り扱いは、ヒットガールという無茶苦茶な存在によって倫理や道徳なんてものを吹っ飛ばす究極の娯楽的バイオレンスとして仕上がってしました。そのため、終わり方に対して倫理的にどうなの、ハッピーエンドでいいのか。などと批判がありましたし、事実自分にもキック・アスはお気に入りで大好きな作品ではあるけれども違和感が残っていたんですよね。

対して「スーパー!」においては、コメディ色を持って毒を包み込む面はあるものの、倫理や道徳なんてふっ飛ばそうという気がない。むしろ、暴力で悪に立ち向かっていく主人公のフランクをある種の狂気として突き放してる。凡人でしかないフランクが絶望からヒーローにかこつけて正義という名の下にただ暴力を奮ってるだけなんですよ、しかも相手は、麻薬のディーラーなどといった犯罪者ではあるけれども、エスカレートした結果、列の割り込みや車に傷付をつけるといった間違ってるけれども、犯罪ともいいきれない人々に対しても暴力を奮ってしまってる。(笑えちゃうんで、不気味なんですけどこれこそ作り物である映画だからこその楽しみでもある。)

さらにイカれたエロくて気狂いな相棒ボルティの登場!!ボルティは、生粋のアメコミオタクで、倫理という倫理が吹っ飛んでしまってる…ああエレン・ペイジやばい。これで主人公が観客側に戻ってきて、行き過ぎた正義を目のあたりにするわけなんですが、フランク、あなたもそっち側でしたよ?っていう話になってこのあたりはヒーローを狂気として描いてる部分に主人公と観客ともどもきっちり向きあわせてくれてる。

いきすぎた正義がある種の暴力でしかないこと、狂気にしかならないこと。キック・アスが本来やるべき要素に向き合ってくれた
とこの作品についてtwitterで話してる時にお話してくれた方がいました。本当にそのとおりで、キック・アスへの違和感を「スーパー!」が吹き飛ばしてくれた。ここがなにより嬉しかったし気持ちよかった。

最後の方で、主人公のフランクが語る台詞に
目の前に写ってることが必ずしも真実とは限らない
というのがありました。

たしかに主人公フランクは、狂気の沙汰でしかなかった。狂気が伴う痛みは、敵味方関係なく登場人物たちそれぞれに降りかかっていく。結果、妻を守れたとしてもその先に待っていたもの、残った痛みが現実。彼はただの人殺しだし、頭のイカれた野郎でしかないのかもしれない。でも、彼はなりふり構わず妻を守りぬいたヒーローなんです。

癖が強くて、ノレない人にはノレないかも知れないけれど、自分としては大好きな作品。序盤のアニメーションから、コスチュームまで全てが愛おしくなる。あああ、傑作。


豪華俳優陣だけでも見る価値がありますが、中でもボルティを演じるエレン・ペイジが本当にやばいです。気狂いを完璧に演じていて、素晴らしい。エレン・ペイジが好きな人は、これ必見ですよ。(好きすぎて自分のtwitterのアイコンにしちゃってます)

シャラップ・クライム!!

2011年8月5日金曜日

アア。化物語。

映画の感想、書きたいことが書きたいように書けないので、今回はアニメ「化物語」を取り上げて気分をリフレッシュとします。やっと見ました

化物語


〈あらすじ〉高校3年生の少年・阿良々木暦は、文化祭の準備をしていた5月のある日、ひょんな事から2年間ろくに会話すらしたことがない病弱なクラスメイト・戦場ヶ原ひたぎの秘密を知ってしまう。なんと彼女には、およそ体重と呼べるものが殆ど無かったのである。
暦は秘密を知った日の放課後、ひたぎから秘密をばらさないようにと執拗な脅しを受けるが、それにもめげず彼女の秘密に対する協力を申し出る。彼女によると、2年前に1匹の不思議な蟹に出会い、重さを根こそぎ持っていかれたのだと言う。
実は暦もひたぎと同じような奇妙な体験をしており、その時に忍野メメという怪異に詳しい男の力を借りたのだった。暦とひたぎはメメに相談する為、彼の住む学習塾跡の廃墟ビルに向かう。メメによるとひたぎの体重を奪った蟹もやはり「怪異」であるという。ひたぎはメメの力を借り、自分の体重を奪った怪異と再会するのだが、それには彼女自身が封じたある過去の秘密が関係していたのだった……。



ライトノベルと言われる類の小説は、一切読まない。なのでこの「化物語」の原作である西尾維新のラノベを読んだことないんだよね。化物語が面白かったので、いい機会だから読んでみようかな。とは思うものの、ラノベって全然読む意欲を持てない。これは食わず嫌い。まぁ西尾維新は少年ジャンプにて漫画「めだかボックス」の原作をしているから割と親しみが元々ありました。西尾維新の特徴でもある言葉の遊びは、「化物語」でも存分に発揮されていました。言葉遊びには弱いというか、好きなので、彼女の遊びっぷりには感服というかとても気持がいいものがあります。

そうした西尾維新の特徴を遺憾無く発揮させるに、原作をまんまにアニメ化されていると言わせるほどの、忠実なアニメ化があったことがひとつ言えると思います。これだけの世界観を作り込めた制作陣、監督として新房 昭之がシリーズ構成に演出、豪華な声優陣と素晴らしいのヒトコトでしょう。おれはこの新房 昭之の演出(荒川や絶望先生を見る限り)ってビジュアルに凝り過ぎてる面があって、そんなに好きかって言われるとそんなでもないというか、まぁシャフト(制作会社)らしいに落ち着いてしまうところがあるんだけども。。

話を戻すと、ラノベらしいというのは偏見かもしれないけれど、いかにもな萌キャラやツンデレといったキャラクター造形がまたとても素晴らしいです。これもまた西尾維新さすがといったところなんでしょうが、中でもずば抜けて「戦場ヶ原ひたぎ」というキャラクターが個人的なツボでした。

さて、この戦場ヶ原ひたぎとは、メインヒロインであるにもかかわらず、一切媚びろうとはせず、暴言という暴言を吐きまくってはたまにデれる。究極のツンデレであり、ヤンデレである。アニメの中で主人公に救われたことをきっかけに主人公と恋仲へと発展するのが彼女です。

そんな暴言に暴言を吐くと彼女の紹介を言ったところで少しもわかってもらえないかと思うので、名言を紹介する。(アンサイクロペディアより)

「唾を飛ばさないで。素人童貞がうつるわ」

「阿良々木くんみたいないかさない童貞野郎と話してくれる女の子なんて、精々私のような行き遅れのメンヘル処女しかいないということよ!」


わかっていただけたか…。ひどいひどすぎる。そんな彼女をシリーズを通して、これでもかと愛おしく思えてしまうのはこの作品のとてつもない魅力の1つに間違いないだろう!

俺なりのツンデレ論や愛すべきめんどくさい女の子論みたいなものを話し始めてしまうと止まらなくなってしまう可能性があるので抑えておきたいんだけれども、めんどくさい女の子を好きになってしまうどうしようもない自分への自惚れ感には究極の勘違いの美学がある。そこを共感を持つことができる化物語の主人公阿良々木くんのようなマゾヒストには、肌という肌が震え上がって…アア。アア。とさらに性格の歪みをこじらせてしまうのではないかと思っています。(経験談)

もう一つめんどくさい女の子といえば、本谷有希子に登場する極めつけな女たちだ。本谷有希子もまた独特な言葉で魅了してくれる。めんどくささとその彼女の文体の魅力がわかる台詞を紹介する。

本谷有希子「生きてるだけで、愛」より

「ねぇ、どうしよう。駄目だよあたし。頭おかしいよ。」
笑っていたはずなのにいつの間にか自分の声が涙ぐんでいることに気付いて、その顔を見られたくなくてあたしは思わず津奈木にすがりついた。両腕を掴まれた津奈木は、あたしの背中をさするようにしながら小さくうんうんと頷くだけだ。
「頭おかしいのってなおるのかなぁ。あのさ、あたしいっつも津奈木に頭おかしいくらいに怒るじゃん?怒るのとかも凄い疲れるんだよ。・・・(省略)・・・」
津奈木の顔を見ることが出来ない。肩におでこを強く押し付けるような格好のまま、あたしは喋り続けた。セーターの毛がちくちくと頬に刺さる。
「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさぁ、あたしとは別れられないんだよね、一生。うちの母親は今でもたぶん雨降ったら寝てると思うし、あたしだってこんな風に生まれちゃったんだから死ぬまでずっとこんな感じで、それはもう諦めるしかないんだよね?諦めなきゃ駄目なんだよね?いいなぁ津奈木。あたしと別れられて、いいなぁ。」


あーめんどくせー。めんどくせー(褒め言葉)
戦場ヶ原ひたぎとはまたベクトルが全く違うめんどくささだけど笑 こういう文章を読んでなんか心にぐっときちゃうめんどくさい子好き系自惚れ男子は、「化物語」必見です。本谷有希子もいいよ。戦場ヶ原ひたぎはさることながら、千石撫子といういかにもな萌キャラ(妹系キャラ)もいい。ロリコン属性の人の琴線にも触れるものがあるのではないかい?

OP「なでこスネイク」恋愛サーキュレーション


なでこの名言

「暦お兄ちゃんはもう大人だから……、撫子の裸を見て、いやらしい気持ちになったりは、しないんだよね?」

どうしてこんな台詞がでてくるのかは、未見の人はアニメ見てのお楽しみですね。

2011年8月1日月曜日

マイケル・ケインの声が聞きたかった

PIXER作品というとやっぱり「トイ・ストーリー」シリーズが大きい存在ですが、そのトイ・ストーリーのスタッフによって作られたのが「カーズ」ですね。「カーズ」は、調子に乗りに乗ってイライラさせる主人公マックイーンが友メーターと仲間と尊敬する人と出会い成長していく物語で、キレイな終わり方に序盤のイライラも忘れてあーさすがPIXERだったなぁと思えたものです。その「カーズ」の続編!!!

カーズ2

〈あらすじ〉不思議な魅力いっぱいの“トーキョー”で、カーレースのスター、ライトニング・マックィーンと親友のメーターの運命を変える大事件が発生。やがて、フランスのパリ、イタリアの田舎町、そしてイギリスのロンドンへと物語の舞台は移り、世界を支配しようとする巨大な陰謀が車たちの未来を奪おうとする。絶体絶命のピンチの中で、マックィーンとメーターは気づくのだった。自分たちの最大の武器は、かけがえのない友情の絆なのだと。例えひとりでは敵わなくても、仲間がいれば強くなれる…。いま、彼らの友情が世界を救う!

そもそもおれ自身が車をそんなに好きじゃないからノリきれない。というのが、この「カーズ」シリーズの決定的に残念なところなんだろうなぁと思う。擬人化された車たちの物語だからこそ、レースシーンが盛り上がるわけだし、車たちだからこその感情移入させられる場面、シーンがあるのに、そこに「車ね、、」と思ってしまうってのは致命的だ。その点、「トイ・ストーリー」はおもちゃという誰もが感傷に浸れるところをテーマにしていたんだよね、すごいな。

さて、そういうノレなさを踏まえつつも、それでもPIXER作品、ジョン・ラセター監督、「カーズ2」前作からどういう続きを見せてくれるんだろうなぁという楽しみにしていたわけです。成長したマックイーンのかっこ良さは磨きがかかってるのか?前作で1番なによりかっこよかったドック・ハドソンは?と楽しみにしていたわけですが、残念なことに思った以上に期待を裏切られてしまいました。

今作でほぼ中心に活躍するのは、前作の主人公マックイーンではなく、その親友のメーターです。物語は、ひょんなことからメーターが大事件に巻き込まれてしまった結果、奔放ながらもマックイーンへの友情とその想いから世界を救ってしまうスパイ活劇となっているわけだけども、このメーターが前作の序盤マックイーンよりもイライラする。うるさいわー空気よめないわー迷惑をかけるわで散々なのに、物語は「君は君のままでいてくれればいいんだ!!そんな君がいいんだ!ほんとに爆弾だけど、爆弾でいいよ!!」と結局そのままで終わってしまうわけです。ん?友情ってそういうこと??全然納得できなかった。このメーター君のキャラクターを愛せるかどうか!が大きな分かれ目になることは間違いないかと。。

さらに、友情?に対して疑問が浮かんでしまうからこそ、心情描写が思ったよりも薄っぺらい。台詞でなんだかんだ綺麗なこと言ってても納得できないとびっくりするほど薄っぺらくなるんだよね。最後の最後のオチにしたって、ずいぶん回りくどいオチを用意したもんだなーと。裏の裏を展開させるにしたって、まわりくど過ぎた気がします。ストーリーにPIXERらしい緻密さや、キレイな伏線回収が見受けれらなかった気がします。

そこの物語の主軸で挫けてしまったので最終的に残念だったと思ってしまったのはあるけど、さすがPIXERと思えた点もあります。今作では、オマケな役回りにまわってしまったマックイーンくんですが、ワールドグランプリでさすがの走りっぷりを見せてくれてます。レースシーンでの演出は、前作以上に磨きがかかっていて興奮しました。ライバルとの勝負としてきっちり描いてあるので、がんばれ!マックイーン!と応援できます。(そこでメーターが序盤で迷惑かけるからいらっとするんだよw)

さらにレースシーンに引けを取らないアクションシーン!擬人化された車たちのスパイ活劇ってだけでなかなか楽しめるものです。タイヤから爆弾がー!そんなワイヤーアクションできちゃうの!?って空飛べちゃうのかい!!そんな変装あり???と思いもよらないスパイっぷりにびっくりしちゃった。こういうのってやっぱり楽しいし、子供心楽しめるよね。

あと日本を舞台にしてくれているので、PIXERの凝った映像背景が日本ってだけで嬉しいもの。日本ネタを豊富に盛り込んでくれているので、親近感があります。話題になっていた「ポリリズム」も本編中ではちょろっとしか流れないものの、最後の最後のエンドロールで丸々流れてきたときには感動しました。なんてったってディズニー・PIXER作品ですから。海外でもちゃんとエンドロールで使われてるのかな??

話は少しそれますが、PIXER作品というと吹き替えですね。「トイ・ストーリー」でもウッディの唐沢寿明とバズの所ジョージとびっくりするほど親しみがある。モンスターズインクの田中も。まぁそもそもディズニー系の海外のアニメーション作品というとどうしても対象年齢が低いので吹き替えが当たり前。字幕版はそもそも公開していないことが多いから、吹き替えの声優さんに親しみがそりゃあるねということわけですが、この「カーズ2」でもメーターの声を演じているのが、ぐっさん!!でもみんな知らないでしょ?親しみないきがしたけどどうなんだろう?

ほんとに知らないときっとちっとも気づかないんじゃないのかな?って思うくらいにメーターなんだよね。カーズから5年ぶりで忘れてましたwメーターのモノマネしてますっていうくらい。ぐっさんなんだーと知っておくとまた違った印象でメーターを見れるかと思います。

声優の話で思い出したのが、俺が楽しみにしてた大好きなキャラクタードック・ハドソン!!!!!がカーズ2ではちっとも登場しなかった理由にドック・ハドソンの声優だったポール・ニューマンの亡くなってしまっていたからだそう。字幕版のオーウェン・ウィルソンやらポール・ニューマンやら今作にいたってはあの英国のスパイのおっさんの声がマイケル・ケイン!!!吹き替えしか見たことないから親しみないけど、マイケル・ケインとか大好きな役者さんが声やってたんだ!!なんて地味に感動しました。いい人選です。

ポール・ニューマンというとやっぱり「スティング」やら「ハスラー」「暴力脱獄」が思い出すわけですけども、俺の大好きだったドック・ハドソンの声をを彼がやっていたとは。。そしポール・ニューマンが亡くなられていたから登場しなかったとは。。ご冥福をお祈りします。

話はずれたけど、「カーズ2」子供向けですが、映像はさすがPIXER、細かいところまで楽しめるということでどうぞ楽しんで来てください。ちなみに、3Dで見る必要性は全く無いので注意してください。